愛しているのにわからない
愛しているからわからなくなる
わからないから愛している
・・・・・・

愛する
という行為の隣には
おおきな謎が転がっています

もちろん
人がことばを愛する あるいは
ことばに人が愛されるときにもまた
謎は生まれてくるのです

このささやかなスペースは
謎を解くための手がかりを
ひろいあつめる場ではありません

謎にじっとむきあうための
手がかりに出会える
そんな「相談室」をつくってゆきたいとおもいます

あなたのみつけた
ことばと人のあいだの謎を
どうか おしえてください

相談員 久谷雉
久谷雉(くたに きじ)

1984年、埼玉県深谷市に生まれる。
「詩の雑誌midnight press」の「詩の教室 高校生クラス」投稿 を経て、 2003年、第一詩集『昼も夜も』をミッドナイト・プレスから出版。 2004年、第九回中原中也賞受賞。

はじめて読んだ詩はなんですか?
久谷さん
はじめて読んだ詩はなんですか?
それはいくつの時ですか?
          (匿名希望)

生まれてはじめて触れた詩集は5歳のときに、母がおみやげに買ってきた谷川俊太郎さんの『みみをすます』。詩というものに本気で興味を持ちはじめたのは、15歳のころ高橋源一郎さんの本に引用されていた伊藤比呂美さんの「雪」という詩を読んでから……といままで、いくつかのところでおなじような質問を受けたときに答えてきました。

しかし最近は、ほんとうにそうなのかな、という疑いの中にいます。果たしてぼくは本当に詩を「読んだ」ことなんて、いままであったのだろうか、と。目の前にとおりすぎてゆく詩に対して感覚的に、あるいは意味的に「共感」をしたことはあっても、それが「読む」ということになるのだろうかと考えてしまうのです。好みであるとかないとか、そういうことを超えて、ぼくの生きる問題として、ひとの書いた詩が迫ってきたことが一度でもあったのか。

ぼくが中学2年生のころの話です。おなじクラスのヨシモトくん(仮名)が裏庭に何人か男子を集めて、彼が書いた一篇の詩の感想を求めてきました。どうやら彼はその詩を朗読して、やはりおなじクラスのサエコさん(こっちも仮名です)に「告白」をするつもりらしいのです。正直、ぎょっとしました。実はぼくもサエコさんが好きだったからです。色々と裏で工作をして、彼女の隣の席も手にいれたくらいです。気が気ではありません。しかもラブレターのようなよくある手段ではなく、「詩」という得体の知れないものなのですから。

(こいつは普通に文章を書いてもそんなにうまくはないかもしれない。でも「詩」だとどうなるか。「詩」はとんでもない言葉の飛躍やねじれもゆるしてしまうだけの力が、たぶんある。散文のできそこないみたいなものでも、「詩」というフィールドに入ることで、とてつもなく輝いてるようにみえてしまうことがありうるんじゃないか。どうしよう)

いまとなっては色々と突っこみたいところがありますが、大体、上に記したようなことを考えて、ぼくは非常にあせりました。あせると同時に、それをヨシモトくんやいっしょに集まった連中に悟られないよう、気をつかいました。ヨシモトくんの「渾身」の言葉が書きつけられた紙が、だんだんぼくのほうに近づいてきます。どうしよう、どうしよう。何もなすすべがないまま、ぼくの番がとうとうやってきました。

全部読みとおすのに十秒もかからないような詩でした。クラスの他の男子より、濃い目におさなさの残っているヨシモトくんの顔が、ぼくが感想を言うのをじっと待ち構えています。ぼくはもう余裕のかたまりになっていましたが、とりあえず、一分くらいは真剣に文面をみつめるふりをしていました。
「そうだね、悪くはないと思うよ」
そう答えてあげると、彼はあかるい表情で、つぎに待っている男子に詩を渡しました。

ぼくはとてもほっとしました。あまりにほっとしすぎて、いつのまにか中島みゆきの「わかれうた」のサビを口ずさんでいました。それから間もなく、ヨシモトくんの強烈なパンチが顔面にめりこんできたことは、書くまでもないでしょう。

……以上、他愛もない話をえんえんと書きつらねてしまいました。しかし、もしかしたらこれが一番、ぼくが詩を「読む」ということに近づいた経験だったのではないかと、いまになって思うのです。この時以上に、切実になって、ひとの詩を「読んだ」という記憶がぼくにはないのです。ひとの詩に「感心」をしたことはなんべんもあるのですが。
けれども、だからこそ、詩を書くということができるのではないか。ほんとうにひとの詩に打ちのめされるという経験をしていたら、じぶんが詩を書く必要なんて感じなかったんじゃないか。さまざまな異論反論があるとはおもいますが、とりあえずいまのところは、そういう風に考えています。

ちなみにヨシモトくんとサエコさんは、そのあとしばらくつきあっていたらしいです。女性のこころを動かす「技術」を見抜く目が、あのころのぼくにはなかったのでしょう。あ、いまでもか。