落下傘  金子光晴

   一

 落下傘がひらく。
じゆつなげに、

旋花〔ひるがほ〕のやうに、しをれもつれて。

青天にひとり泛〔うか〕びただよふ。
なんといふこの淋〔さび〕しさだ。
雹〔ひよう〕や
雷の
かたまる雲。
月や虹の映る天体を
ながれるパラソルの
なんといふたよりなさだ。

だが、どこへゆくのだ。
どこへゆきつくのだ。

おちこんでゆくこの速さは
なにごとだ。
なんのあやまちだ。

 

   二

 この足のしたにあるのはどこだ。
……わたしの祖国!

さいはひなるかな。わたしはあそこで生れた。
 戦捷〔せんせふ〕の国。
父祖のむかしから
女たちの貞淑な国。

もみ殻や、魚〔うを〕の骨。
ひもじいときに微笑む
躾〔しつけ〕。
さむいなりふり
有情〔あはれ〕な風物。

 あそこには、なによりわたしの言葉がすつかり通じ、かほ   いろの底の意味までわかりあふ、
 額〔ひたひ〕の狭い、つきつめた眼光、肩骨のとがつた、  なつかしい朋党達〔ほうたうたち〕がゐる。

 「もののふの
 たのみあるなかの
 酒宴かな。」

洪水〔でみづ〕のなかの電柱。
草ぶきの廂〔ひさし〕にも
ゆれる日の丸。

さくらしぐれ。
石理〔きめ〕あたらしい
忠魂碑。

義理人情の並ぶ家庇〔やびさし〕。
盆栽。
おきものの冨士。

 

   三

ゆらりゆらりとおちてゆきながら
目をつぶり、
双〔ふた〕つの足うらをすりあはせて、わたしは祈る。
 「神さま、
 どうぞ。まちがひなく、ふるさとの楽土につきますやうに。
 風のまにまに、海上にふきながされてゆきませんやうに。
 足のしたが、刹那〔せつな〕にかききえる夢であつたりしませんやうに。
 万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても、着くところがないやうな、悲しいことになりませんやうに。」

 

 1948年の詩は吉田一穂の「白鳥」から始めたかったのだが、あの詩を横書きで記すのは堪えがたく、別の機会に期することとしたい。一穂の『未来者』が出版された翌月(4月)、金子光晴の『落下傘』が刊行された。詩人の跋に曰く、「この詩集は、日本と中国の戦争が始まつてから、終戦十日ほど前までに書かれた詩のうち、比較的前期の作をあつめたもの。すべて発表の目的をもつて書かれ、殆んど、半分近くは、困難な情勢の下に危険を冒して発表した」。この詩集一巻を読むとき、「これだけの文学は、日本はおろか世界にも、この時代になかったのではあるまいか」という安東次男のことばを了解する。このたびは、「湾」という詩を読んでいて、そこに表出された思想の強度に唸らされ、この詩が戦時下に書かれた詩であるということについてあらためて考えさせられた。その終行「君よ。それでも猶〔なほ〕、/けふを無為だといふか。」を読むとき、「この詩の役目は一見終つてゐるやうにみえて、まだまだ終つてゐないとおもふ。この詩の苦難も、又、これからの事かもしれない。」という詩人のことばが反芻される。今回は、「寂しさの歌」をここに紹介したいと強く思ったのだが、長い詩なので、「落下傘」を取り上げることにした。この著名な詩について、あらためて加えることばはない。この詩は1938年6月に「中央公論」に発表された。(10.8.9 文責・岡田)