勾配  森川義信

非望のきはみ
非望のいのち
はげしく一つのものに向つて
誰がこの階段をおりていつたか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるやうに悲風はつんざき
季節はすでに終りであつた
たかだかと欲望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼し
光彩の地平をもちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆえにここまで来たのか
だがみよ
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまつてゐるのだ

 

 戦後詩の精神の始まりを尋ねて、北村太郎の詩壇時評「孤独への誘い」から鮎川信夫の「死んだ男」と読んできたが、「死んだ男」を取り上げたからには、「M」について、「M」の詩について、触れないわけにはいかない。「M」、すなわち森川義信は、1918年(大正7年)、香川に生まれた。上京して、詩誌「LUNA」などを通して鮎川信夫などと知り合う。詩を書いたのは、1937年から1940年の頃か。当時を回想する鮎川信夫のことばからは、彼らの青春が伝わってくる。そして1941年、丸亀歩兵連隊に入隊し、翌42年、ビルマ(現ミャンマー)で戦病死した。享年25歳。
 1939年に書かれたこの「勾配」という詩は、読むたびに、その詩の深さを認識させられる。「太陽も海も信ずるに足りない」とき、もはや、個/孤の底に向かって、階段/勾配を「おりて」いくことしか残されていない。向かい合うものは己しかない。その勾配を「おりて」ゆく精神の劇を18行の詩につくりあげた詩人の非凡を知らされる。最終行の「道」ということばがひっかかるが、これはメタファーでもなんでもなくて、「道」そのものであったのだろう。それがこの詩を忘れがたい一篇とする。そして、「誰がこの階段をおりていつたか」という一行は、鮎川信夫の「死んだ男」の「あらゆる階段の跫音のなかから、」という一行に生きている。(10.7.12 文責・岡田)