死んだ男  鮎川信夫

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
——死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代——
活字の置き換えや神様ごっこ——
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

 北村太郎が「純粋詩」1947年4月号に発表した詩壇時評「孤独への誘い」は、ふたつの章からなっている。ひとつは、先週取り上げた「空白はあったか」。もうひとつは、「『死んだ男』について」であった。これは「純粋詩」1月号に発表された鮎川信夫の「死んだ男」について書かれたものだが、「書き出しから、この詩は僕を捉えて放さなかった」という北村は、「おそらくこの詩は全然新らしい詩だ」(「新らしい」に傍点あり)…「だがいったい何が新らしいのか」…「形式が新らしいのか、思想が新らしいのか、そんなことは論点の外だ。作者が新らしいのだ」と、畳みかけるようにして、「死んだ男」の「新らしさ」についてことばを連ねている。然り、「これがすべての始まりであ」ったのだ。——と同時に、2010年のいま、この詩句を読むとき、このことばはイロニーか……と思わないこともない。たしかに、ここから「戦後詩」が「始ま」ったということはできるが、それを対象化することばはまだ生まれていないように思われる。「始まり」について徹底的に再考することが求められていることを痛感する。(10.7.5 文責・岡田)