おやしらず  秋山清

夜がしらしらにあけると
ここは越後の国おやしらず。
汽車は海にせまる山壁に息はきかけて走り
人のいない崖下の海岸に
しろい波がくだけている。
あとからあとからとよせてきて
くだけている。
なんというさびしげな名前だろう、
「親しらず」とは。
がらす窓に
ちいさな雨となってふる霧は
日本海のそらと海とをおおい
茫として沖がみえぬ。

 

 秋山清の『白い花』や『ある孤独』などの詩集を読んでいると、その一篇一篇を味わい深く思うとともに、秋山清にとって詩とはなんであったのだろうと考える。また内村剛介を引くが、「秋山はその詩において孤独であり、まさにそこでぎりぎりに正直なのである、(中略)。詩においてラコニックでストイックである秋山が何ゆえ散文において前びらきのだらしなさを示すのかということに対する説明もここに求められてよい」という評語は、秋山清の詩を考える上で含蓄がある。この「おやしらず」という詩は、1944年に書かれた。敗戦の前年、秋山40歳の時の詩である。この詩を読んでいると、自然と中野重治の「しらなみ」が思い出される。この詩は、中野24、5歳の頃(1925、6年頃)に書かれたものと思われる。

 

しらなみ  中野重治

 

こゝにあるのは荒れはてた細ながい磯だ
うねりは遙かな沖なかにわいて
よりあひながら寄せて来る
そしてこゝの渚に
さびしい声をあげ
秋の姿でたふれかゝる
そのひゞきは奥ぶかく
せまつた山の根にかなしく反響する
がんじような汽車さへもためらひ勝ちに
しぶきは窓がらすに霧のやうにも まつはつて来る
あゝ 越後のくに親しらず市振(いちぶり)の海岸
ひるがへる白浪のひまに
旅の心はひえびえとしめりをおびて来るのだ

 

 どちらの詩も、「親しらず」という「海岸」を眼前に彷彿とさせるもので、それぞれゆっくりと繰り返し読む。終行、「茫として沖がみえぬ。」と「旅の心はひえびえとしめりをおびて来るのだ」との違いは、そのときの詩人が置かれた状況の違いによるものだろうか。「茫として沖がみえぬ。」と書いたとき、詩人は「みえぬ」彼方に思念を傾けていたことが了解される。(10.6.14 文責・岡田)