夏の終  伊東静雄

月の出にはまだ間〔ま〕があるらしかつた
海上には幾重〔いくへ〕にもくらい雲があつた
そして雲のないところどころはしろく光つてみえた

そこでは風と波とがはげしく揉〔も〕み合つてゐた
それは風が無性に波をおひ立ててゐるとも
また波が身体〔からだ〕を風にぶつつけてゐるともおもへた

掛茶屋のお内儀〔かみ〕は疲れてゐるらしかつた
その顔はま向きにくらい海をながめ入つてゐたが
それは呆〔ぼん〕やり牀几〔しやうぎ〕にすわつてゐるのだつた

同じやうに永い間わたしも呆やりすわつてゐた
わたしは疲れてゐるわけではなかつた
海に向つてしかし心はさうあるよりほかはなかつた

そんなことは皆どうでもよいのだつた
ただある壮大なものが徐〔しづ〕かに傾いてゐるのであつた
そしてときどき吹きつける砂が脚に痛かつた

 

 伊東静雄(1906/明治39年—1953/昭和28年)の第三詩集『春のいそぎ』は1943年に出版された。そのタイトルは、「自序」によれば、江戸末期の志士、伴林光平の「たが宿の春のいそぎかすみ売の重荷に添へし梅の一枝」によるもので、さらに「大東亜の春の設けの、せめては梅一枝でありたいねがひは、蓋し今日わが国すべての詩人の祈念ではなからうか」と記される。この詩集にはいわゆる戦争詩が7篇収められているが、後に詩人はこれを深く恥じた。『春のいそぎ』を繰っていて立ち止まらされるのは「夏の終」という詩である。この、1942年に書かれた「夏の終」は、「掛茶屋のお内儀は疲れてゐるらしかつた」「同じやうに永い間わたしも呆やりすわつてゐた」などという詩句から、中也を一瞬想起させるところがある。だが、「そんなことは皆どうでもよい」。「ただある壮大なものが徐かに傾いてゐるのであ」るから。詩人がそのとき直観したものはなんであったのか。伊東静雄が戦争をどのように考えていたのかについてはさらなら考察が求められているように思う。(10.5.24 文責・岡田)