眺望  淵上毛銭

屋根といふものがなければ
暮しはできないものなのか
もの哀〔がな〕しい習俗のぐるりの
屋根屋根を濡らして
遥かなる狐の嫁入りが行く
青い風は僕の隣から
眺望〔ながめ〕を撫〔な〕でてはゐたけれど
僕はこのまんま
美しい空〔から〕つぽになりたくて
ほそい山径〔やまみち〕に群れてゐる
花蝋燭〔はならふそく〕のやうな野苺〔のいちご〕に
すくないけれど僕も
眺望も呉〔く〕れてしまつた

 

 淵上毛銭(1915/大正4年—1950/昭和25年)は、結核性股関節炎のために長く病床にあった詩人であった。1943年に出版された第一詩集『誕生』に「序詩」を寄せた山之口貘は、戦後、熊本県水俣に淵上を見舞った。「彼は、木製の寝台に仰向けになっていて、そこには、彼のいわゆる硯のようなへこんだ胸があった。彼はそのへこんだ胸のうえに、座布団型の砂袋をのせて、その重みを、ねているうすっぺらな自分のからだの文鎮みたいにして、静かに暮らしていた」。毛銭が貘と出会ったのは十代半ばの頃で、その当時はチェロに熱中していたようだ。「十年前のあのチエロ弾きよ/チエロは鳴らずに/詩が鳴つた」(山之口貘の「序詩」から)
 「眺望」を読んでいると、かつて毛銭の墓を訪ねた日のことが思い出される。「狐の嫁入り」とは、いわゆる「天気雨」のこと。終わり三行の運び方は、まさに詩としか云いようがない。(10.5.10 文責・岡田)