明日  小野十三郎

古い葦は枯れ
新しい芽もわづか。
イソシギは雲のやうに河口の空に群飛し
風は洲に荒れて
春のうしほは濁つてゐる。
枯れみだれた葦の中で
はるかに重工業原をわたる風をきく。
おそらく何かがまちがつてゐるのだらう。
すでにそれは想像を絶する。
眼に映るはいたるところ風景のものすごく荒廃したさまだ。
光なく 音響なく
地平をかぎる
強烈な陰影。
鉄やニツケル
ゴム 硫酸 窒素 マグネシユウム
それらだ

 

 小野十三郎(明治36年/1903年—平成8年/1996年)の『大阪』は1939年に出版された。高村光太郎が「秋風起つて白雲は飛ぶが/今年南に急ぐのはわが同胞の隊伍である。」と始まる「秋風辞」を発表したのは1937年。そして、1941年の太平洋戦争の始まりとともに詩人たちは愛国詩・戦争詩へとなしくずし的に向かっていくのだが、そのなかにあって、小野十三郎は独自の場所を生きている。多くの詩人たちが、戦争の中に自然を見出したのに対して、小野は「小鳥の啼き声や水のせせらぎの音など、その他一見世の中の動きや政治の動きとは関係のなさそうな自然の諸形態に対しても、私はそこに戦争を感じざるを得なかった」と云う。それは詩集『大阪』に明らかである。この詩集は小野が「葦の地方」を「発見」した詩集として記憶される詩集であるが、「明日」の最後の三行が示す、安易に「歌わない」精神は読む者に強い印象を残す。(10.3.22 文責・岡田)