襤褸は寝てゐる  山之口貘

野良犬・野良猫・古下駄どもの
入れかはり立ちかはる
夜の底
まひるの空から舞ひ降りて
襤褸〔らんる〕は寝てゐる
夜の底
見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて地球を抱いてゐる
鼾〔いびき〕が光る
うるさい光
眩〔まぶ〕しい鼾
やがてそこいらぢゆうに眼がひらく
小石・紙屑・吸殻たち・神や仏の紳士も起きあがる
襤褸は寝てゐる夜の底
空にはいつぱい浮世の花
大きな米粒ばかりの白い花。

 

 山之口貘(1903/明治36年—1963/昭和38年)の『思辨の苑』は1938年にむらさき出版部から刊行された。この詩集には、佐藤春夫の序詩、金子光晴の序文が収められているが、「佐藤春夫氏の玉稿は、五年も前に頂戴してあった。/金子光晴氏の玉稿もまた、三年前に頂戴してあった」と、詩集の「後記」で貘は書いている。佐藤春夫がその「序詩」に「南方の孤島から来て/東京でうろついてゐる 風見たいに」と書いたのは1933年12月28日。当時のことを貘は「大正13年(1924年)の夏、着のみ着のままで、詩稿だけを携えて、ぼくはまた上京、昭和14年(1939年)の五月ごろまでの大半を、一定の住所を持たずにすごした」と書いている。
 その当時がどのような時代であったか、ざっと振り返ると、1931年満州事変、1932年満州国建国、五・一五事件、1933年国際連盟脱退、1936年二・二六事件、1937年日中戦争、1938年国家総動員法……。日本の資本主義、帝国主義の膨張は、秩序から疎外され、脱落する多くの不定職者たちを生んだ。沖縄から上京してきた貘もそのひとりであった。「襤褸は寝てゐる」は、「詩稿だけを携えて」「一定の住所を持たずにすごした」貘がくぐりぬけてきたいくつもの「夜の底」を浮かび上がらせる。金子光晴はその「序文」で「貘君によって人は、生きることを訂正される」と書いているが、山之口貘の詩を読んでいると、一度この人に会いたかったとの思いを禁じえない。(10.3.8 文責・岡田)