石柱の歌  立原道造

私は石の柱……崩れた家の 台座を踏んで
自らの重みを ささへるきりの
私は一本の石の柱だ——乾いた……
風とも 鳥とも 花とも かかはりなく
私は 立つてゐる
自らのかげが地に
投げる時間に見入りながら

歴史もなく 悔いも 愛もなく
灰色のくらい景色のなかにひとりぼつちに
立つてゐるとき おもひはもう言葉にならない

花模様のついた会話と 幼い痛みと
よく笑つた歌ひ手と……それを ときどき おもひ出す
風のやうに 過ぎて行つた あれは
私の記憶だらうか また日々だらうか

私は おきわすられた ただ一本の柱だ
さうして 何〔なに〕の 廃墟に 名前なく
かうして 立つてゐる 私は 柱なのか
答へもなしに あらはに 外の光に?
嘗ての日よりも 踏みしめて
強く立たうとする私には ささへようとするなにがあるのか!
知らない……甘い夢の誘ひと潤沢な眠りに縁取られた薄明のほかは——

 

 このところずっと立原道造のことが気にかかっている。このままなにもしないで、ただ道造の書いた詩をずっと読んでいたくなる。道造の詩を読めば読むほど、この「方法」の抒情、「人工」の抒情の誘惑を拒むことができなくなる。それはなぜかといえば、いま詩を書こうとする者(筆者)の前に立ちはだかる壁を越えていく途が示唆されていると思われるからにほかならない。いま自分はまさに「現代詩」——「絶対に現代的であらねばならない」(ランボオ)——を読んでいるのだと感覚させられる。
 この「石柱の歌」という詩を読むとき、思い出すのは、山岸外史の「立原道造論」の一節である。ある夜、道造は外史に次のように語ったという。「どんな建築であっても、結局は、廃墟になる。あのアテネの神殿のように廃墟になるのです。だからどんな建築であっても、その廃墟になった結果まで考えて、建築を考えなければいけないと思うのです」
 ここしばらくは道造の詩を読んでいく以外にないのかも…と観念しはじめている。(10.2.15 文責・岡田)