幸福  アルチュル・ランボオ(中原中也訳)

  季節〔とき〕が流れる、城寨〔おしろ〕が見える、
  無疵〔むきず〕な魂〔もの〕なぞ何処にあらう?

  季節が流れる、城寨が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱〔のが〕れ得よう。

ゴオルの鶏〔とり〕が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。

もはや何にも希〔ねが〕ふまい、
私はそいつで一杯だ。

身も魂も恍惚〔とろ〕けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節が流れる、城寨が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節が流れる、城寨が見える!

 

 1937年、立原道造の『萱草に寄す』が5月に、『暁と夕の詩』が12月に出版されているが、9月に中原中也の『ランボオ詩集』が出版されていることが目を惹く。中也と道造。日本の抒情詩を代表するこのふたりは実に対照的な詩人であった。日本の軍国主義が膨張していく30年代を、それぞれがどのように生きたかを見ていくことも大事なことだが、いま思い出されるのは道造が中也の「汚れつちまつた悲しみに」について語った次のことばである。「これは『詩』である。しかし決して『対話』ではない。また『魂の告白』ではない。このやうな完璧な芸術品が出来上るところで僕ははつきりと中原中也に別離する。詩とは僕にとつて、すべての『なぜ?』と『どこから』との問ひに、僕らの『いかに?』と『どこへ?』との問ひを問ふ場所であるゆゑ」。
 中也はランボオよりもヴェルレーヌに近い資質と思われるが、『ランボオ詩集』の後記で「唯ヴェルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかつた」と書いていることは興味深い。この後記が書かれたのは8月21日だが、その2カ月後に中也は逝く。
 小林秀雄ほかの訳と読みくらべるのもおもしろいだろうが、「季節が流れる、城寨が見える、」という訳は悪くないと思う。中也の訳詩を読むとき、いつも思い浮かぶのは、机に向かい訳詩をひねっている中也の姿である。(10.1.25 文責・岡田)