漂泊者の歌  萩原朔太郎

 

日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後〔うしろ〕に
一つの寂しき影は漂ふ。

ああ汝〔なんぢ〕 漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠〔くをん〕の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾〔さうじ〕として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥〔せきれう〕を蹈み切れかし。

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁〔うれ〕ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻〔きす〕する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊〔さまよ〕ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

 

 萩原朔太郎(1886年/明治19年—1942年/昭和17年)の『氷島』が出版されたのは1934年、西脇順三郎の『Ambarvalia』が出版された翌年であった。当時の朔太郎がどのような状況にあったか振り返ってみると下記のとおりである。

1925年        妻子三人とともに上京
1927年 芥川龍之介自殺
1928年  『詩の原理』刊行
「詩と詩論」創刊。春山行夫「日本近代象徴主義の終焉」
1929年   稲子夫人と離婚。二児を伴い帰郷
1930年   父・密蔵死去
1931年   下北沢で、母、二児、妹と暮らす。
1933年「郷愁の詩人与謝蕪村」
    「四季」創刊。『Ambarvalia』刊行
1934年        『氷島』刊行

 『氷島』は評価が分かれる詩集である。「詩句に先だつて、それに充実すべき内容の方からまづ膨らみ上つてくるやうな場合、言語はかうした虚勢を張らないだらうとも考へられます」という三好達治の批判はよく知られている。『氷島』をどう読むかという問題は、しかしいまなお未解決の印象があり、さらに追求される必要があると思われる。上の記述から、当時の朔太郎がどのような時間を生きていたか、その一端を窺うことはできるが、もとより、それだけで『氷島』を語ることはできない。「僕は退却を自辱しながら、文語体漢語調を選ぶほかに道がなかつた」と朔太郎は云うが、そこには思索する詩人、萩原朔太郎がいたということについてさらに考えていきたいと思う。『氷島』の巻頭に置かれた「漂泊者の歌」は、詩人の「詩篇小解」によれば、「断崖に沿ふて、陸橋の下を歩み行く人。そは我が永遠の姿。寂しき漂泊者の影なり。巻頭に掲げて序詩となす」とある。(09.11.02 文責・岡田)