恥の歌  富永太郎
Honte!〔オント〕 honte!〔オント〕
眼玉の 蜻蛉〔とんぼ〕
わが身を 攫〔さら〕へ
わが身を 啖〔くら〕へ

Honte! honte!
燃え立つ 焜爐〔こんろ〕
わが身を 焦がせ
わが身を 鎔かせ

Honte! honte!
干割れた 咽喉〔のんど〕
わが身を 涸らせ
わが身を 曝らせ

Honte! honte!
 おまへは
    泥だ



 富永太郎は1901年(明治34年)に生まれた。はじめて詩を書いたのは20歳で、1925年(大正14年)、24歳で死んだ。『富永太郎詩集』が出版されたのはその2年後、昭和2年のことだった。富永太郎が生涯に残した詩は37篇、そのうち生前に発表された詩は8篇であり、前に取り上げた「秋の悲歎」など4篇は散文詩である。大岡昇平が「韻律を身につけることが出来なかった散文詩人太郎が、偶然の事件のお蔭で、屈辱と自虐を一息のリズムに乗せ得た珍しい例である」と云うところの「恥の歌」は、大正14年1月に書かれた。その直前にある女性に結婚を申し込み断られたこともこの詩の背景にはあるのだろうが、すでに生きることに疲れた印象があり(この年の11月に彼は死ぬ)、傑作とは言いがたい。だが、妙に惹かれるところがある。それは、「おまへは/泥だ」と書く以外にない詩人がなお詩を生きようとしていることが了解されるからではないだろうか。吉本隆明は、この詩について、「「Honte! honte!」の次の行「眼玉の 蜻蛉」はあきらかに「Honte」というフランス語の綴りの形象から連想されて」「フランス語の「Honte」を日本語(のように)として使っている」「言いかえれば詩的な〈転換〉の意味を異国語との交換にまで徹底化している」と書いている。(文責・岡田)