失はれた美酒  ポオル・ヴァレリイ(堀口大學訳)
一と日われ海を旅して
(いづこの空の下なりけん、今は覚えず)
美酒少し海へ流しぬ
「虚無」にする供物〔くもつ〕の為に。

おお酒よ、誰か汝〔な〕が消失を欲したる?
或るはわれ易占に従ひたるか?
或るはまた酒流しつつ血を思ふ
わが胸の秘密の為にせしなるか?

つかのまは薔薇いろの煙たちしが
たちまちに常の如〔ごと〕すきとほり
清げにも海はのこりぬ……

この酒を空〔むな〕しと云ふや? ……波は酔ひたり!
われは見き潮風のうちにさかまく
いと深きものの姿を!



 西洋の詩に範を求めた日本の近代詩史において、訳詩集は大きな役割を果たしたが、森鴎外/新声社の『於母影』(1889年)、上田敏の『海潮音』(1905年)、永井荷風の『珊瑚集』(1913年)に続いて、堀口大學の『月下の一群』が出版されたのは1925年(大正14年)のことだった。収録された66人340篇の訳詩は「何のあてもなく、ただ訳してこれを国語に移しかえる快楽の故にのみなされた」ものであるが、後に詩人はその当時を回想して、その「詩人群の大方は、その頃まだ日本には名さえ知られていなかった」「ヴァレリーもコクトーもぼくは自分で見つけた」と云っている。アポリネールをはじめとするフランスの詩人たちの新精神(エスプリ・ヌーヴォー)を乗せたこの訳詩集が以後の日本の現代詩に大きな影響を与えたことはあらためて云うまでもないことだろう。「グウルモンによって与えられたあの時の智的有頂天は、僕の一生を通じての精神上最大の事件として残るだろう」というグウルモンの詩を取り上げてもいいのだが、いまは「この酒を空しと云ふや? ……波は酔ひたり!」の一行しかない。(文責・岡田)