無声慟哭  宮沢賢治
こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
  (おら おかないふうしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちひさな表情も
けつして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊くのだ
  (うんにや ずゐぶん立派だぢやい
   けふはほんとに立派だぢやい)
ほんたうにさうだ
髪だつていつそうくろいし
まるでこどもの苹果〔りんご〕の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
  ((それでもからだくさえがべ?))
  ((うんにや いつかう))
ほんたうにそんなことはない
かへつてここはなつののはらの
ちひさな白い花の匂でいつぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない



 きちんとした見通しを立てて書いているわけではないので、大正12年(1923年)の金子光晴の『こがね虫』をうっかりと見落とすことにもなる。そうすると、翌年に出版された宮沢賢治の『春と修羅』は…ということになるのだが、賢治の詩は、今年の初めに「くらかけ山の雪」を読み、続いて「春と修羅(mental sketch modified)」を取り上げている。それにしても、『春と修羅』とは、考えれば考えるほどに、深いタイトルである。その「無声慟哭」詩篇では、どちらかといえば、「永訣の朝」よりも「無声慟哭」に惹かれるのだが、それは、「ただわたくしはそれをいま言へないのだ/(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)/わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは/わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ」の四行によるところが大きい。妹の臨終を前にしてなお書き記された「(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)」という一行が含意する「ほんたう」とはなんだろう。(文責・岡田)