序の二 煙草は私の旅びとである  尾形亀之助
朝早くから雨が降つてゐた
そして 暗い日暮れに風が吹いて流れ 雨にとけこむ日
暮れを泥ぶかい沼の底の魚のやうに 私と私の妻がゐる
私は二階の書斎に 妻は台所にゐる

これは人のゐない街だ

一人の人もゐない、犬も通らない丁度ま夜中の街をその
ままもつて来たやうな気味のわるい街です
街路樹は緑色ではなく 敷石も古るぼけて霧のやうなも
のにさへぎられてゐる どことなく顔のやうな街です
風も雨も陽も ひよつとすると空もない平らな腐れた花
の匂ひのする街です
何時ごろから人が居なくなつたのか 何故居なくなつなの
か 少しもわからない街です

     *    *
        *    *

それは
「こんにちは」とも言はずに私の前を通つてゆく
私の旅びとである

そして
私の退屈を淋しがらせるのです



 尾形亀之助(1900 – 1942)は、1923年に、村山知義などと新興美術家の集団「MAVO」を結成し。萩原恭次郎、小野十三郎、岡本潤などと知り合う。だが、次第に絵から離れて、詩作に専念し、1925年(大正14年)に第一詩集『色ガラスの街』を出版した。当時、亀之助は、短詩や散文詩など新しい詩の形式を目指して、安西冬衛、北川冬彦らによって創刊された詩誌「亜」に参加していて、『色ガラスの街』には、その新感覚の短詩も収められているが、ハズせないと思うのは、「序詩」のひとつ、「序の二 煙草は私の旅びとである」。「これは人のゐない街だ」という一行は、後の『障子のある家』を遠く予感させるようでもある。亀之助の詩集としては、この『障子のある家』(1930年)を取り上げるべきところなのだが、この「序詩」には亀之助の原点があるようにも思われる。この『色ガラスの街』という詩集が出版された当時は亀之助も詩人や画家たちとよく交際していたようだ。(文責・岡田)