室生犀星氏  室生犀星
みやこのはてはかぎりなけれど
わがゆくみちはいんいんたり
やつれてひたひあをかれど
われはかの室生犀星なり
脳はくさりてときならぬ牡丹をつづり
あしもとはさだかならねど
みやこの午前
すてつきをもて生けるとしはなく
ねむりぐすりのねざめより
眼のゆくあなた緑けぶりぬと
午前をうれしみ辿り
うつとりうつくしく
たとへばひとなみの生活をおくらむと
なみかぜ荒きかなたを歩むなり
されどもすでにああ四月となり
さくらしんじつに燃えれうらんたれど
れうらんの賑〔にぎは〕ひには交はらず
賑ひを怨〔ゑん〕ずることはなく唯うつとりと
すてつきをもて
つねにつねにただひとり
謹慎無二の坂の上
くだらむとするわれなり
ときにあしたより
とほくみやこのはてをさまよひ
ただひとりうつとりと
いき絶えむことを専念す
ああ四月となれど
桜を痛めまれなれどげにうすゆき降る
哀しみに深甚にして坐られず
たちまちにしてかんげきす



 室生犀星といえば、その詩よりも、『我が愛する詩人の伝記』をまず思う。はじめて読んだとき、その、ものを見る眼の鋭さ、見たものを的確に記述するその文体に唸らされたことをいまもよく覚えている。西脇順三郎が云うように、「この詩人の詩の大部分は人生詩である」。だが、「単にセンチメンタルな人生詩人と違つて、人生の新しい関係を発見しようとしている」ことは、『我が愛する詩人の伝記』を読んでも了解されるところである。犀星の詩で、とくに好きな一篇というものはない。上記の「室生犀星氏」は、犀星二十代の放浪時代の一篇であるが、犀星の自画像たりえている詩のように思われる。後に書かれた「切なき思ひぞ知る」などと併せて読むと、感慨にとらわれる。その、「我はつねに狭小なる人生に住めり、/その人生の荒涼の中に呻吟せり、/さればこそ張り詰めたる氷を愛す。」という詩句などは誰にでも書けるものではないだろう。犀星室生照道は、文学者である前に、ひとりの人間であった。(文責・岡田)