両国  木下杢太郎
両国は橋の下へかかりや
大船は檣〔はしら〕を倒すよ、
やあれそれ船頭が懸声〔かけごえ〕をするよ。
五月五日のしつとりと
肌に冷き河の風、
四ツ目から来る早船の緩かな艪拍子や、
牡丹を染めた袢纏〔はんてん〕の蝶蝶が波にもまるる。

灘の美酒、菊正宗、
薄玻璃〔うすばり〕の杯〔さかづき〕へなつかしい香〔か〕を盛つて
西洋料理舗〔レストラント〕の二階から
ぼんやりとした入日空〔いりひぞら〕、
夢の国技館の円屋根こえて
遠く飛ぶ鳥の、夕鳥の影を見れば
なぜか心のみだるる。



 木下杢太郎(1885/明治18年‐1945/昭和20年)の詩集『食後の歌』(1919年)に収められた詩は、その洒落たセンスと憂愁とがほどよくバランスしていて、詩を読む愉しみを与えてくれる。その『食後の歌』の自序も味わい深く、白秋の『思ひ出』所収の「わが生ひたち」とともに記憶に残る文章であるが、そのなかで「パンの会」を回想して、「如何に東京の五月の美しく、舶来の酒の香しきかを歌つた」と書いているとおり、杢太郎はよく五月を歌った。上記の詩も、そのひとつである。もはや、両国の橋の下を大船は往かず、船頭の懸声も聞こえてはこないが、高層ビルの向こうに「遠く飛ぶ鳥の、夕鳥の影を見れば/なぜか心のみだるる」のはいまも変わらない。(文責・岡田)