去りゆく五月の詩  三木露風
われは見る。
廃園の奥、
折ふしの音なき花の散りかひ。
風のあゆみ、
静かなる午後の光に、
去りゆく優しき五月のうしろかげを。

空の色やはらかに青みわたり
夢深き樹には啼〔な〕く、空〔むな〕しき鳥。

あゝいま、園〔その〕のうち
「追憶」〔おもひで〕は頭〔かうべ〕を垂れ、
かくてまたひそやかに涙すれども
かの「時」こそは
哀しきにほひのあとを過ぎて
甘きこころをゆすりゆすり
はやもわが楽しき住家〔すみか〕の
屋〔をく〕を出〔い〕でゆく。

去りてゆく五月。
われは見る、汝〔いまし〕のうしろかげを。
地を匍〔は〕へるちひさき虫のひかり。
うち群〔む〕るゝ蜜蜂のものうき唄
その光り、その唄の黄金色〔こがねいろ〕なし
日に咽〔むせ〕び夢みるなか……
あゝ、そが中に、去りゆく
美しき五月よ。

またもわが廃園の奥、
苔古〔ふ〕れる池水〔いけみず〕の上、
その上に散り落つる鬱紺〔うこん〕の花、
わびしげに鬱紺の花、沈黙の層をつくり
日にうかびたゞよふほとり――

色青くきらめける蜻蛉〔せいれい〕ひとつ、
その瞳、ひたとたゞひたと瞻視〔みつ〕む。

ああ去りゆく五月よ、
われは見る汝のうしろかげを。

今ははや色青き蜻蛉の瞳。
鬱紺の花。
「時」はゆく、真昼の水辺〔すゐへん〕よりして――



 三木露風(1889 – 1964)が詩人として生きたのは『廃園』(1909年)から『白き手の猟人』(1913年)までの数年である。露風といえば、その詩よりも、朔太郎の「三木露風一派の詩を追放せよ」という文章が思い出されるところがあるが(実際、『白き手の猟人』以降、その詩は衰弱していった)、「はびこれる悪草のあひだより/美なるものはほろび去れり/青白き光の中より/健げなるものは逝けり――」という序詩をもつ詩集『廃園』(1909年)に収められた、この「去りゆく五月の詩」は記憶に残る一篇である。「去りゆく優しき五月のうしろかげを」などという一行は絶妙で、フランスの詩から影響を受けたのであろう、優美な動きのなかに安定したものが感じられる詩行の展開は繰り返し味わいたくなる。「ハアプの一の銀線の様に感じ易い心を以て、生〔ラ・ヸィ〕を歌つてゐる半音楽〔セミ・ミュジカル〕な」という高村光太郎のことばは言い得て妙か。最後の一行が含意する遠さが深い。(文責・岡田)