夏の歌  蒲原有明
薄ぐもる夏の日なかは
愛欲の念にうるみ
底もゆるをみなの眼ざし、
むかひゐてこころぞ悩む。

何事の起るともなく、
何ものかひそめるけはひ、
執ふかきちからは、やをら、
重き世をまろがし移す。

窓の外につづく草土手、
きりぎりす気まぐれに鳴き、
それも今、はた声絶え、
薄ぐもる日は蒸し淀む。

ややありて茅が根を疾く
青蜥蜴走りすがへば、
ほろほろに乾ける土は
ひとしきり崖をすべりぬ。

なまぐさきにほひは、池の
上ぬるむ面よりわたり、
梔子の花は墜ちたり、――
朽ちてゆく「時」のなきがら。

何事の起るともなく、
何ものかひそめるけはひ、
眼のあたり融けてこそゆけ
夏の雲、――空は汗ばむ。

 *ルビ註 念〔おもひ〕 眼〔め〕 執〔しふ〕 外〔と〕 茅〔かや〕 疾〔と〕く 青蜥蜴〔あをとかげ〕 上〔うわ〕 面〔おも〕 梔子〔くちなし〕 眼〔ま〕 融〔と〕


 「智慧の相者は我を見て」などの詩を見慣れた者は、「夏の歌」の平明な措辞を意外に思うかもしれない。だが、晦渋な修辞によらず、性の幻覚、性の鬱憂を歌うこの詩にこそ、蒲原有明がいるのではないだろうか。有明に「碑銘」という詩がある。「其四」の冒頭二行、「肉は、霊は、/二つのちから、」という詩句ほど、蒲原有明の詩を語るものはないだろう。有明のアドレッセンスには4人の女性が登場する。8歳の時に去った生母ツネ。11歳の時、精神的に母に代わる人となったカトリック信者の未亡人。中学卒業後、同居していた継母の姪。20代半ばに、彼の家に寄寓していた5歳年上の女。あとのふたりとの関係は「絶体絶命の性欲のさせる業」によるものであったという。この4人のファムファタルが詩人・蒲原有明をつくったのではないかと思われるほど、有明の詩は霊肉の相剋に縁どられている。霊肉の葛藤を歌おうとすれば、いきおい「象徴詩」に赴くしかなかっただろう。ちなみに、「夏の歌」が発表されたのは明治39年(1906年)9月。この年の3月、西山喜美子と結婚。4月、薄田泣菫とはじめて会う。「碑銘」が発表されたのは6月。有明は31歳であった。(文責・岡田)