出征  ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ(上田敏訳)
高山〔たかやま〕の鳥栖〔とぐら〕巣だちし兄鷹〔せう〕のごと、
身こそたゆまね、憂愁に思〔おもひ〕は倦〔うん〕じ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄誥〔をたけ〕ぶ夢ぞ逞ましき、あはれ、丈夫〔ますらを〕。

チパンゴに在りと伝ふる鉱山〔かなやま〕の
紫摩黄金〔しまわうごん〕やわが物と遠く求むる
船の帆も撓〔し〕わりにけりな、時津風〔ときつかぜ〕、
西の世界の不思議なる遠荒磯〔とほつありそ〕に。

ゆふべゆふべは壮大の旦〔あした〕を夢み、
しらぬ火や、熱帯海のかぢまくら、
こがね幻〔まぼろし〕通ふらむ。またある時は

白妙の帆船の舳〔へ〕さき、たゝずみて、
振放〔ふりさけ〕みれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼海〔わだつみ〕の底よりのぼる、けふも新星〔にひぼし〕。


 上田敏の『海潮音』は明治38年(1905年)10月に出版された。この年は、5月には薄田泣菫の『二十五絃』が、7月には蒲原有明の『春鳥集』が、出版されるなど、日本近代詩史において、とりわけ記憶される年である。『海潮音』は、上田敏が「明星」に発表したフランスの象徴派や高踏派の訳詩を中心に編まれた訳詩集である。「近代詩壇の母はまさしくこの人(敏)である」という北原白秋のことばが語っているとおり、この訳詩集が日本近代詩史に果たした役割の大きさについてはあらためていうまでもないだろう。日本近代詩がどのように象徴詩を受容したかというのは、いまなお日本の詩を考える上でも避けては通れない主題である。が、いまは、上田敏が「訳者の同情は寧ろ高踏派の上に在り」というところの一篇、フランス高踏派の驍将、ジョゼ=マリヤ・ド・エレディヤ(1842-1905)の詩を読んでみたい。「芸術のための芸術」を実践した、このキューバ生まれの詩人が残した詩集は『戦勝牌』の一巻のみ。それがどんな詩なのか興味があるのだが、『海潮音』でその三篇を読むことができる。『海潮音』といえば、あの「秋の日の/ヸオロンの……」の名訳が思い出されるが、上記の「出征」でも、その原詩を知らなくても(読むことができなくても)、訳詩において、上田敏がいかに精緻に技巧をこらしたかが知られるのである。鉄幹与謝野寛は、上田敏の訳業について、「『白氏文集』が平安期の文学に影響したのと相似な意味で、明治大正の詩歌に顕著な滋味を寄せた」と云っている。(文責・岡田)
(上田敏訳のポオル・ヹルレエヌ「落葉」は08年3月17日の本欄で取り上げました)