敗荷  与謝野鉄幹
夕〔ゆふべ〕不忍〔しのばず〕の池ゆく
涙おちざらむや
蓮〔はす〕折れて月うすき

長酡亭〔ちゃうだてい〕酒寒し
似ず住〔すみ〕の江〔え〕のあづまや
夢とこしへ甘きに

とこしへと云ふか
わづかひと秋
花もろかりし
人もろかりし

おばしまに倚りて
君伏目がちに
嗚呼何とか云ひし
蓮に書ける歌


 
 一般に、詩史では、「藤晩時代」(島崎藤村、土井晩翠の時代)の後に薄田泣菫、蒲原有明が登場するといわれるが、ここで見過ごすことができないのは、その泣菫や有明なども寄稿した「明星」を主宰した与謝野鉄幹である。いま鉄幹の詩が読まれているのかどうか知らないが、詩人として、「明星」の主宰者として、鉄幹与謝野寛は、僕にとって、いまも興味深いひとりである。例えば、明治34年(1901年)に刊行された『紫』に収められた詩篇のいくつか。萩原朔太郎をして「おそらく鉄幹の抒情詩中で、唯一の圧巻ともいふべき傑作である」と云わしめた「敗荷」は鉄幹28歳の頃の作。明治33年(1900年)8月、大阪に旅した鉄幹は、山川登美子、鳳晶子などと住之江の住吉大社に歌を詠みながら遊んだ。「わづかひと秋」の後、鉄幹は不忍池の長酡亭でひとり酒を酌みつつ、その時の思い出を「花もろかりし/人もろかりし」とかみしめる。ほかに、薄田泣菫との「好会」の時を味わい深く措辞する「泣菫と話す」という詩も捨てがたい。(文責・岡田)