冬の日  西脇順三郎
或る荒れはてた季節
果てしない心の地平を
さまよい歩いて
さんざしの生垣をめぐらす村へ
迷いこんだ
乞食が犬を煮る焚火から
紫の雲がたなびいている
夏の終りに薔薇の歌を歌つた
男が心の破滅を歎いている
実をとるひよどりは語らない
この村でラムプをつけて勉強するのだ
「ミルトンのように勉強するんだ」と
大学総長らしい天使がささやく
だが梨のような花が藪に咲く頃まで
猟人や釣人と将棋をさしてしまつた
すべてを失つた今宵こそ
ささげたい
生垣をめぐり蝶とれる人のため
迷って来る魚狗〔かわせみ〕と人間のため
はてしない女のため
この冬の日のため
高楼のような柄の長いコップに
さんざしの実と涙を入れて


 西脇順三郎の詩集『近代の寓話』には、西脇の詩法がフルに生かされた詩篇が収められている。「冬の日」もそのひとつ。西脇の詩は、いつも沁みるわけではない。詩を読みたい!と切に思ったときに読むと、沁みるのである。それはなぜだろう。そのナゾを解明したいものだ。西脇は晩年の萩原朔太郎と渋谷でよく昼酒を飲んだということだが、そのふたりの姿はわれわれを「果てしない」思索に誘っているようだ。(文責・岡田)