坂  室生犀星
坂かどにかかりしとき
坂の上にらんらんと日は落ちつつあり
円形のリズムはさかんなる廻転にうちつれ
樹は炎となる
つねにつねにカンヷスを破り
つねにつねに悪酒に浸れるわが友は
わが熱したる身をかき抱き
ともに夕陽のリズムに聴きとらんとはせり
しんに夕の麺麭〔パン〕をもとめんに
もはや絶えてよしなければ
ただ総身はガラスのごとく透きとほり
らんらんとして落ちむとする日のなかに
喜びいさみつつ踊る
わが友よ
ただ聞け上野寛永寺の鐘のひびきも
いんいんたる炎なり
立ちて為〔な〕すすべしなければ
ただ踊りつつ涙ぐむ炎なり
おろかなる再生を思慕することはなく
君はブラッシュをもて踊れ
われまづしき詩篇に火を放ち
踊り狂ひて死にゆかむ
さらにみよ
坂の上に転ろびつつ日はしづむ
そのごとく踊りつつ転ろびつつ
坂を上らんとするにあらずや


 久しぶりに、室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』を読み返した。読みやすいとは云えない、ゴツゴツとした文体が、なぜかくも深い味わいを印象させるのか、不思議ではあるが、引き込まれるようにして、あっというまに数章を読んでしまう。山村暮鳥の章では、次のようなことばが書かれていた。「詩人は早く死んではならない、何が何でも生き抜いて書いていなければならないのだ、生きることは詩を毎日書くことと同じことなのだ」。上記の詩は、犀星の放浪時代(明治43年から大正6年頃まで)に書かれたもののひとつ。ちなみに、犀星が前橋に朔太郎を訪ねたのは大正3年の2月だった。「坂」という詩は二篇書かれていて、「この坂はのぼらざるべからず」と始まる詩のほうが好みに合うのだが、上記の詩に流れるデモーニッシュなリズムにも捨てがたいものがある。(文責・岡田)