怠惰の暦  萩原朔太郎
いくつかの季節はすぎ
もう憂鬱の桜も白つぽく腐れてしまつた
馬車はごろごろと遠くをはしり
海も 田舎も ひつそりとした空気の中に眠つてゐる
なんといふ怠惰な日だらう
運命はあとからあとからとかげつてゆき
さびしい病鬱は柳の葉かげにけむつてゐる
もう暦もない 記憶もない
わたしは燕のやうに巣立ちをし さうしてふしぎな風景のはてを翔(かけ)つてゆかう。
むかしの恋よ 愛する猫よ
わたしはひとつの歌を知つてる
さうして遠い海草の焚(や)けてる空から 爛(ただ)れるやうな接吻(きす)を投げよう
ああ このかなしい情熱の外(ほか) どんな言葉も知りはしない。


 早、九月となってしまった。このところ、毎日のように、雨が降り、雷が鳴っている。朔太郎の詩を読んでいると、ひとつひとつのことばが独特の濃密さをもって迫ってくる。怠惰、憂鬱 病鬱、むかし、爛れる、かなしい、情熱……。(文責・岡田)