渓流  中原中也
渓流(たにがは)で冷やされたビールは、
青春のやうに悲しかつた。
峰を仰いで僕は、
泣き入るやうに飲んだ。

ビショビショに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、
青春のやうに悲しかつた。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云つた。
僕も実は、さう云つたのだが。

湿つた苔も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかつた。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流の中で冷やされてゐた。

水を透かして瓶の肌へをみてゐると、
僕はもう、此の上歩きたいなぞとは思はなかつた。
独り失敬して、宿に行つて、
女中(ねえさん)と話をした。


 暑い夏がやってきた。この詩が書かれたのは、1937年7月15日。その年の10月22日に中原中也は死ぬ。享年30歳。この詩については、なにも云うことはない。ただ、味わうのみ。「冬の長門峡」が発表されたのもこの年の4月だった。一度だけ、長門峡の近くに行ったことがあるが、そのとき、いつか、ゆっくりと長門峡を訪ねたいと思った。(文責・岡田)