訪問者  伊東静雄
トマトを盛つた盆のかげに
忘れられてゐる扇

その少女は十九だと答へたつけ
はじめてひとに見せるのだといふ作詩を差出すとき
さつきからの緊張にすつかりうけ応へはうはの空だつた
もつと私が若かつたら
きつとそれを少女の気随な不機嫌ととつたらう
或はもすこし年をとつてゐたなら
かの女の目のなかで懼れと好奇心が争つて
強ひて冷淡に微笑しようと骨折るのを
耄碌した老詩人にむける憐れみの目色(めいろ)と邪推したらう

いま私は畳にうづくまり
客がおいていつたノート・ブックをあける
鉛筆書きの沢山の詩
愛の空想の詩をそこによむ
やつと目覚めたばかりの愛が
まだ聢(しか)とした目あてを見つける以前に
はやはげしい喪失の身悶えから神を呼んでゐる
そして自分で課した絶望で懸命に拒絶して防禦してゐる
あゝ純潔な何か

出されたまゝ触れられなかつたお茶に
もう小さな蛾が浮んでゐる
生涯を詩に捧げたいと
少女は言つたつけ
この世での仕事の意味もまだ知らずに。


 これは、『反響』に収められた、戦後の新作十篇のうちのひとつである。これは、この詩の後に置かれた「詩作の後」という詩とともに読まれるものかもしれない。「詩作の後」は、「最後の筆を投げ出すと/そのまゝ書きものの上に/体をふせる/動悸が山を下つて平地に踏み入る人の/足どりのやうに/平調を取り戻さうとして/却つて不安にうちつづける」と始められている。
 伊東静雄は云う。「僕ら詩人が平素詩で表現しようとする――といふより表情しようとする――ものには題材といふものはない。譬へて言へば、天地間の風や水の、漾揺(やうえう)とでもいへる風のものである。」「ああ、とか、花、とか言へばそれですむものなのだ。(略)僕らにはてにをはだけが大切。(「てにをは」に傍点)」
 「訪問者」という詩をはじめて読んだのはもう何年も前のことである。「耄碌した老詩人」とあるが、このとき、静雄は四十歳。この頃の詩人がなにを思っていたのか、それは想像するしかない。「彼の作品が、どこか狂的な熱度さえ帯びていた初期の破壊的な詩の高みから、徐々に下降していったことも、明らかな事実であろう」(大岡信)けれども、「小さい手帖から」と題された十篇に流れる明晰なものを捨てがたく思うこともまたたしかなことである。(文責・岡田)