「道士月夜の旅」から  日夏耿之介
1
小慧(こざか)しい黒猫の柔媚(じうび)の声音(こわね)
青ざめた燐寸をとぼすあたたかなその毛なみ
琥珀にひかる隻瞳を努めて遁(のが)れたいゆゑに
還(また) 儂(われ)は漂泊(さまよ)ひいづる門出である
月光(つきかげ) 大地(つち)に降り布(し)き
水銀の液汁を鎔解(とか)しこんだ天地万物の裡(あはひ)
ああ 儂(わ)が旅(ゆ)く路は
坦坦とただ黝い
 
               (註 「とぼす」に傍点あり)

5
嗚呼(ああ) 高大な寂黙(じゃくもく)の世界(よ)の黎明方(よあけがた)を
遠く己(おの)が心の一隅にふりさけ見て
いまも身は十七歳の心臓のごとくに躍る
儂(わし)はわが在国(ざいごく)とわが他人らとより出離(しゅつり)して
今宵 色青い月光のながれ簇(よ)る大街道を
落葉(おちば)踏みわけ
身を疼(いた)め
こころを暢ゝ(のびのび)と瞳をすゑて
儂(わ)が赴(ゆ)く故園(ふるさと)の指す方(かた)を辿(たど)る 辿る


 なぜか日夏耿之介の詩を読みたくなった。手元に『明治大正詩史』を置いてはいるが、『転身の頌』や『黒衣聖母』をまともに読んだことはない。きっかけは、窪田般彌氏の「日夏耿之介と『ゴシィック・ロオマン詩体』」を読んだことだが、そこには『黒衣聖母』の序が引用されていた。
 「詩人は如何に展開しても、哲人にはならぬ、宗教家にはならぬ。科学者にはならぬ。談理に偏し、説法に急なるとき、詩人はしばしば己れが埒外に飛び出したがる。外道である。古今の詩史には、この大外道も多いことを銘記する要がある。われらは、表現を生命とする。かたちに因って、こころを忍ばんとするのである……」(「かたち」と「こころ」には傍点が付されている)
 「かたちに因って、こころを忍ばんとするのである」ということばに惹かれて、『転身の頌』や『黒衣聖母』を読み始めると、見えてくるものがないわけではない。だが、いまは、『黒衣聖母』の巻頭に置かれた「道士月夜の旅」をただ読んでいたい(長い詩なので、1と5のみ書き写す。原詩では、数字はローマ数字で表記されているが、ここではその表記ができないのでアラビア数字で表記した)。「まことの詩は、詩篇でなくて詩人其のものである」と耿之介はいったが、たしかに、ここには、遠い旅を往く単独者、即ち、詩人がいる。(文責・岡田)