現身  三木露風
春はいま空のながめにあらはるゝ
ありともしれぬうすぐもに
なやみて死ぬる蛾のけはひ。

ねがひはありや日は遠し、花は幽(かすか)にうち薫(くん)ず。
ゆるき光に霊(たましひ)の
煙のごとく泣くごとく。

わが身のうつゝながむれば
紅玉の靄たなびけり。
隠ろひわたり、染みわたり
入日の中にしづく声。

心もかすむ日ぐれどき、
鳥は嫋(ね)びつゝ花は黄に、
恍惚の中吹き過ぎて
色と色とは弾きあそぶ。

慕はしや、春うつす
永遠(えいゑん)のゆめ、影のこゑ。
身には揺れどもいそがしく
入日の花のとゞまらず。

春はわが身にとゞまらず。
ありともしれぬうすぐもに
なやみこがるゝ蛾のけはひ。


 三木露風の、この詩を取り上げたのは、ちょうどこれからの季節にふさわしいものかと思われたからでもある。そして、安東次男氏が、「永遠」に「とは」ではなく「えいゑん」とルビを振られていることについて、「日本の近代詩の中で、たかが一つのルビが鮮やかな詩的映像を呼びおこした例は、他に類を見ないのではないか」と書いていたことなどが思い出されたからでもある。露風については、『白き手の猟人』に収められた「冬夜手記」のことば、例えば、「象徴は魂の窓である」、あるいは、「言葉は詩の病気なり。言葉を失へよ」など、これからも考えていきたいと思っている。(文責・岡田)