漂泊  伊良子清白
蓆戸(むしろど)に
秋風吹いて
河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし
哀れなる旅の男は
夕暮の空を眺めて
いと低く歌ひはじめぬ

亡母(なきはゝ)は
処女(をとめ)と成りて
白き額月(ぬかつき)に現はれ
亡父(なきちゝ)は
童子(わらは)と成りて
円(まろ)き肩銀河を渡る

柳洩る
夜の河白く
河越えて煙(けぶり)の小野に
かすかなる笛の音(ね)ありて
旅人の胸に触れたり

故郷(ふるさと)の
谷間の歌は
続きつゝ断えつゝ哀し
大空の返響(こだま)の音(おと)と
地の底のうめきの声と
交りて調は深し

旅人に
母はやどりぬ
若人(わかびと)に
父は降(くだ)れり
小野の笛煙の中に

旅人は
歌ひ続けぬ
嬰子(みどりご)の昔にかへり
微笑(ほゝゑ)みて歌ひつゝあり


 伊良子清白(1877/明治10年―1946/昭和21年)の詩集『孔雀船』は明治39年に刊行された。冒頭に置かれた「漂泊」、その第一連から第二連への展開には実に味わい深いものがある。以下、昭和4年に刊行された『孔雀船』再版の「小序」を引く。
 「この廃墟にはもう祈祷も呪詛もない、感激も怨嗟もない、雰囲気を失つた死滅世界にどうして生命の草が生え得よう、若し敗壁断礎の間、奇しくも何等かの発見があるとしたならば、それは固より発見者の創造であつて、廃滅そのものゝ再生ではない。 
          昭和四年三月    志摩にて   清白」


 *『孔雀船』は総ルビ表記で組まれている。今回は、横組み、かつルビを( )表記するしかないので、必要最小限のルビを付すことにした。(文責・岡田)