荒城の月  土井晩翠
春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけ出でし
むかしの光いまいずこ。

秋陣営の霜の色
鳴き行く雁の数見せて
植うるつるぎに照りそひし
むかしの光今いづこ。

いま荒城のよはの月
変らぬ光たがためぞ
垣に残るはただかづら
松に歌ふはただあらし。

天上影は変らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなほ
あゝ荒城の夜半の月。


 土井晩翠の代表作といわれる「星落秋風五丈原」が発表された頃、与謝野鉄幹は「新詩壇は目下の処藤村晩翠二氏を推さざるを得ず」といったという。藤村と晩翠とが並んで語られる時代があったのだ。ところで、いま晩翠の詩はほとんど読まれていない。難しい漢語で書かれた詩が、いまの読者に受け入れられることはないだろうし、時代を超えていくものが晩翠の詩にはなかったのだ。だが、「荒城の月」はいまもなお歌われている。それはなぜだろう。もとより、滝廉太郎の作曲によるところは大きいであろうが、それはひとまず措いて、虚心にこの詩を眺めれば、ここに表出された「切なるもの」は時代を超えていることが了解される。この一篇の詩で、晩翠土井林吉は記憶される詩人となった。詩とはなにか、とあらためて考えさせられる。(文責・岡田)