いちぢくの葉  中原中也
いちぢくの、葉が夕空にくろぐろと、
風に吹かれて
隙間より、空あらはれる
美しい、前歯一本缺け落ちた
をみなのやうに、姿勢よく
ゆふべの空に、立ちつくす

――わたくしは、がつかりとして
わたしの過去のごちやごちやと
積みかさなつた思ひ出の
ほごすすべなく、いらだつて、
やがては、頭の重みの現在感に
身を托し、心も托し、

なにもかも、いはぬこととし、
このゆふべ、ふきすぐる風に頸(うなじ)さらし、
夕空に、くろぐろはためく
いちぢくの、木末(こずえ) みあげて
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。


 今年もいよいよ残り少なくなってきた。今年は、中原中也生誕百年ということもあってか、中也の詩集をよく繰ったが、今年最後の「今週の詩」は、「いちぢくの葉」。「一体中原には、生の側から書いてるのか、死の側から書いてるのか、わからない詩がありはしまいか?」とは、吉田秀和氏のことばだが、中也の詩を前にして、感嘆とともに、いつも思うのは、このことば(詩)がいったいどのようにして到来したのかということである。上の詩でいえば、第一連の四、五、六行あたりのことばは、どのようにして「あらはれ」たのだろう。
 2008年の「今週の詩」は、詩が生まれるときを尋ねていきたいと思う。(文責・岡田)