願ひ  佐藤春夫
大ざつぱで無意味で
その場かぎりで
しかし本当の
飛びきりに本当の唄をひとつ
いつか書きたい。
神さまが雲をおつくりなされた気持が
今わかる。

おつかさんが
あの時 うたつてきかせたあの
子守唄を
そつくりそのまま思ひ出したい。
その唄は きけば 
おつかさんももう知らない
どうもでたらめにうたつたらしい。

どうかして生涯にうたひたい
空気のやうな唄を一つ。
自由で目立たずに
人のあるかぎりあり
いきなり肺腑にながれ込んで
無駄だけはすぐ吐き出せる
さういふ唄をどうかして一つ……


 詩を書く者であれば、誰しも一度は、このような「願ひ」をもつことであろう。『佐藤春夫詩集』には、「詩論」と題される詩も収められているが、この「願ひ」のほうが、「詩論」の趣きがあるように思う。この詩が、なぜ味わい深いかといえば、佐藤春夫が、「その唄」を書いたからであろう。すなわち、「秋刀魚の歌」を。(文責・岡田)