苛察   高村光太郎
大鷲が首をさかしまにして空を見る。
空には飛びちる木の葉も無い。
おれは金網をぢやりんと叩く。
身ぶるひ――さうして
大鷲のくそまじめな巨大な眼が
槍のやうにびゆうと来る。
角毛(つのげ)を立てて俺の眼を見つめるその両眼を、
俺が又小半時じつと見つめてゐたのは、
冬のまひるの人知れぬ心の痛さがさせた業(わざ)だ。
鷲よ、ごめんよと俺は言つた。
この世では、
見る事が苦しいのだ。
見える事が無残なのだ。
観破するのが危険なのだ。
俺達の孤独が凡そ何処から来るのだか、
この冷たい石のてすりなら、
それともあの底の底まで突き抜けた青い空なら知つてゐるだらう。


 いま、詩とはなにか? 詩人とはなにか?と考えたとき、吉本隆明の『高村光太郎』をあらためて読んでみようと思った。吉本氏は容赦なく光太郎を剔抉する。その強度が、詩のなんたるか、詩人のなんたるかを浮かび上がらせる。そして、全詩篇(全集)にあたらない限り、この詩人の全貌はつかめないことを思い知らされる。いまは、新潮社版「日本詩人全集」第九巻で、「猛獣篇」の詩を読んでいる。上の「苛察」は、その一篇。(文責・岡田)