偶得    田中克己
ハリー彗星は一九一〇年に現はれ
(その翌年におれは生れたのだ)
その周期は七十六年と七日だから
一九八六年に再び見えるといふ
おれはこの書を読み心楽しまなかつた
多分おれは一度もこの星を見ないだらう
思ふに人間の相逢ふのもこれに等しいのだ
知己を一人得るはそれほど難く
恋人を一人得るもまた難いのだ
おれの知己は俺の死後に出て来るのだ
おれの恋人はおれの生れる前に死んだのだ
           (『大陸遠望』から)

   *
 田中克己といえば、まず思い起こされるのは次の歌である。

 この道を泣きつつ我の行きしこと
 我がわすれなばたれか知るらむ
       (『詩集西康省』の序の歌)
 
 ヘルダーリンから想を得た「多島海」という詩にも捨てがたいものがあるが、この「偶得」という詩は実に味わい深い。このクールな認識の底にも、「我がわすれなば」の歌は流れているのだろう。