夏の歌    蒲原有明
薄ぐもる夏の日なかは
愛欲の念(おもひ)にうるみ
底もゆるをみなの眼(め)ざし、
むかひゐてこころぞ悩む。

何事の起るともなく、
何ものかひそめるけはひ、
執(しふ)ふかいちからは、やをら、
重き世をまろがし移す。

窓の外(と)につづく草土手。
きりぎりす気まぐれに鳴き、
それも今、はたと声絶え、
薄ぐもる日は蒸し淀む。

ややありて茅(かや)が根を疾(と)く
青蜥蜴(あおとかげ)走りすがへば、
ほろほろに乾ける土は
ひとしきり崖をすべりぬ。

なまぐさきにほひは、池の
上(うは)ぬるむ面(おも)よりわたり、
山梔(くちなし)の花は墜(お)ちたり、――
朽ちてゆく「時」のなきがら。

何事の起るともなく、
何ものかひそめるけはひ、
眼(ま)のあたり融(と)けてこそゆけ
夏の雲、――空は汗ばむ。


 蒲原有明の『夢は呼び交す』には、思わず書き写したくなることばが、あちらこちらに見える。たとえば、いわく、「かれ自身としても詩人にならうと思ひたつたのが間違ひのはじめで、詩だけを思ふままに作つてゐればよかつたのだ」と。
 難解で空疎であると批判された有明は、己れの「弱所」を自覚しつつも、「言葉を深く究めれば究めるほど詩の内容は深くなって来る」という信念は手放さなかった。「妄執の道とは輪廻の道」。ここには、ひとりの「詩人」がいる。
 この「夏の歌」は、『有明集』に収められた一篇。夏の日の憂愁は深い。(文責・岡田)