サアディの薔薇  デボルド=ヴァルモール(中原中也訳)
今朝私は薔薇を持って来ようと思ひ
あんまり沢山帯に挟まうとしましたから
結び目は固くなり、挟みきれなくなりました。

結び目はやがても千切れ、薔薇は風に散り、
海の方までもいつてしまひました。
そしてもう、二度と帰つては来ませんでした。

波はそのために赤くなりました。炎えてゐるやうでした。
今宵、私の着物はまだその匂ひが匂つてをります……
せめてその匂ひを、吸つて下さい。

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 「今週の詩」として、なにを取り上げてゆくのか、しばし考えてみた。横組みという条件、著作権の問題などなどから、主として近代詩、それもあまり長くないものを取り上げていこうという基本方針はすぐにできた。主として近代詩を考えたのは、いま、それに関心があるからということでもあるが。
 だが、どこから始めようかと考えると、すんなりとはいかないものである。ここで、すぐに思い浮かぶのは、今年、生誕100年を迎える中原中也である。その中也が外国の詩をどう訳しているのかふと気になり、講談社文芸文庫の『中原中也全訳詩集』を手に取ってみた。そのなかに、デボルド・ヴァルモールの「サアディの薔薇」がある。これは、齋藤磯雄の訳で名高いが、この中也の「サアディの薔薇」を読んでいると、この詩と向かい合っている中原中也という詩人の呼吸が伝わってくるのである。詩人とはなにか?と、思わず考えずにはいられなくなるのである。
 詩人とはなにか?
 それを考えながら、いろいろな詩を読んでいきたいと思った。(岡田幸文)