八木幹夫(やぎみきお)

1947年、神奈川生まれ。著書に、『野菜畑のソクラテス』『八木幹夫詩集』『川・海・魚等に関する個人的な省察』など8冊の詩集、歌集『青き返信』ほか。

山羊(さんよう) という俳号で俳句を詠む。

『渡し場にしゃがむ女 詩人西脇順三郎の魅力』(2014)をミッドナイト・プレスから刊行。

久しぶりの山羊散歩ですね。今回は若い頃から読んできた宮沢賢治を取り上げます。特に大正三年、賢治が盛岡中学を卒業した十八歳のときから、東京を引き揚げ、大正十一年、妹のトシが盛岡で亡くなるまでの約八年間(一九一四年大正三年~一九二二年大正十一年まで)に焦点を当ててみようと思います。この間に賢治は何度も東京に来ていますが、私たちが知る「詩人宮澤賢治」が生まれる大変重要な時期です。ゆっくり歩きながら辿ってみたいと思います。まずは賢治が住んでいた菊坂の住居跡に向かいましょう。

 

菊坂・賢治旧居跡へ

 

歩きながら話します。宮沢賢治の詩も童話も広く読まれていますが、まともに読むとこんな不思議で分からない詩人は珍しい。よくあの当時、草野心平が目をつけたなと思います。永瀬清子も、草野心平から賢治の詩集『春と修羅』を勧められて読んだとき、それまでに読んだものとは全く違う印象で、いままで三味線ばかり聞いていた者が、急にベートーベンを聞かされたような衝撃、とうまい言い方をしてますね。正直いま読んでも分からないところが沢山あるのも事実です(笑)。例えば『春と修羅』の「序」の「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」とあるでしょ。あの当時こんな詩が分かる人がどれだけいたかと思います。でも賢治は一貫している。一種の因果律の世界です。宇宙物理学的な思考と仏法上の因果律の混淆。賢治独特の思考です。

以前「山羊散歩3、4」で取り上げた西脇順三郎(小千谷篇と観音崎篇)と宮沢賢治とは二歳の年齢差なんです。賢治の方が若い。西脇さんは昭和四年に『超現実主義詩論』を出しています。日本におけるシュールレアリスムが文学でも美術でも広がりはじめた気配をおそらく賢治は感じ取っていたと思います。不思議な因縁というか、同時代にそれまで

ない新しい詩人が登場したわけです。二人はほぼ同時代人ですが、クロスすることはありませんでした。

おや、もう菊坂ですね。ここを賢治は歩いたんですね。ほら、漱石の碑がありますよ。この菊坂界隈は夏目漱石ほか、石川啄木や樋口一葉など多くの近代文学者が住んでいた場所ですね。賢治は特に知らないでここに来たと思います。あとで詳しく触れますが、若き賢治はここで当時田中智学が開いた日蓮宗法華経の国柱会に入信し、布教活動をしながら、童話作品を多く書いた。やはり賢治にも若いころ、文学的野心があり、童話作品を出版したかった。あちこちの出版社に持ち込み断られたという事実があります。

国柱会での布教活動以上に、賢治は自分の文学への思いが強く、東京に来たんだと思います。ただ、どの童話作品が東京で書かれたのかは具体的には不明。賢治自ら日付を作品につけてますが、岩手に帰郷して何度も手を入れているからね。有名な「注文の多い料理店」も実際にいつ書かれたのかはっきりとしない。

 

 

菊坂

それにしても自筆原稿を見ると驚きます。すごい速さで童話を書いています。岩手の賢治資料館にある賢治の生原稿をみると原稿用紙のマス目いっぱいに大きい字で、まるで言葉がどんどん湧き出てくるように書いている。速筆です。

賢治が東京にいた一九二〇年前後の童話を読み直してみましたが、一、二年で作品の密度が急速に変わってくる。ストーリーの構成もしっかりしてくる。何が起きたのかな、と思うくらい賢治に劇的変化が起きてます。はじめの習作期のころの作品はあまり面白くない。ここに住んでいた最初のときに書いた童話を出版社に持ち込んだとしても、編集者が散漫な作品だと受け付けなかったと思います。ところが一、二年でどんどん洗練されてくる。「注文の多い料理店」とか、「鹿踊りのはじまり」など、このへんになると物語の凝縮度がぐっと増してくる。やっぱり人間ていうのは訓練が大事なんだなと感じさせられます。そしてその頂点に生まれるのが、一九二二年の妹トシが亡くなる直前、直後の作品ですね。『春と修羅』(生前出版の第一詩集)のなかでも、それ以前のものと、その後の「永訣の朝」「無声慟哭」「松の針」では、言葉の結晶度がはるかに高い。この時期、賢治がなんども自分の中で言葉を反復させることで高い純度の言葉を発酵させたのですね。だから賢治ははじめから優れた詩人で童話作家だったわけではない。天才論や神話化は用心するべきです。

これは時差がありますが、すぐ近くに住んでいた石川啄木にも通じるところです。啄木も北海道から東京に出てきて初めていい作品を書くようになった。つまり故郷を東京の目からもう一度見直す。自分の育った土地に埋没したまま書いていると、表現者として別の地平に抜け出られない。これは西脇さんも同じだと思う。ギリシャ的叙情詩を書いているけど、よく考えると故郷小千谷の裏返しじゃないかと思うね。故郷から離れたところで爆発的エネルギーを持つ作品が生まれる。賢治も岩手から離れた

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