4 新体詩再読

 

「壮士詩人」 そのためには、後に受け継がれなかった彼ら新体詩人とは日本近代詩の上の何者だったのかをまず問わなければならない。もし詩人以前とされるならその詩作者としてのあり方には、詩史上、如何なる意味があったのか。括弧付きの「詩人」でしかなかったとは如何なる意味なのか。彼等の自己規定とはなんであったのか。先に〈詩‐詩想‐人格〉に内的契機を見出さないのを彼等だとした。なら彼等の内部契機とはなんだったのか。内部構造を疑わなければならない。

再度、詩想に戻れば、詩人には詩想が必要である。言うまでもない。それが「詩人」には要らない。要らないでは極端すぎるが、詩学さえあればよいのである。したがって要らないとは、詩学の前に要らないの謂いである。いずれも「詩人」を詩人から際立たせるための言い回しである。次も同じ思惑に発する極論化した問いたてである。なぜ詩学だけでよかったのであろうか。もし詩学と人格が結びついていたからである、と答えるとすれば、あらためて〈詩‐詩学‐人格〉と図式化することになる。

ただこれでは詩想と詩学が入れ替わっただけにしか見えかねないが、入れ替わりの意味は大きい。詩想は一次的に心と結びついているが、詩学はそうではないからである。それにもかかわらず詩学は、詩想以上に心になる。比喩的に言えば、詩想以上の詩想だった。では詩想以上の詩想とはなにか。それは一義的にも詩人でない彼らの社会的関係をもその人格において取り結んでいるところもの、すなわち彼らをその時代において彼らたらしめているところのものである。唐突ながら「志」である。

たとえば「新体詩」なる造語がある。「泰西ノ『ポエトリー』ト云フ語」に当てるため、あるいは旧来に囚われないために「故ニ之ヲ新体ト稱スルナリ」のとおり語の来歴は、『新体詩抄』の「凡例」が認めるところである。詩学が導いたものである。通常はこれで終わる。詩学を通じて詩人として完結するからである。この場合、詩学=詩人=人格である。我々としても後は詩を読むだけである。でも終わらない。完結しないからである。詩人ではなく「志」がである。人格として。

序文(『新体詩抄』)の一つにこうある。「此編ヲ讀ム者須ク此ヲ諒シテ我輩ガ素志ノ苟且ナラザルヲ曉ルベシ」(傍線引用者)と。「此ヲ諒シテ」とは、「大家ノ出ルアリテ其新流義ナルヲ善トシテ一層ノ工夫ヲ加エ更ニ人心ヲ感ゼシメ鬼神ヲ泣カシムルノ詩ヲ賦シ出スニ至ラザン事」で、要は、今はたとえ容れられなくてもいずれ必ず大輪を咲かせる。それを疑うことがない故に「我輩ガ素志ノ苟且(かりそめ)ナラザルヲ曉(さと)ルベシ」の誇示的な表明になるのであるが、図らずも彼の口を衝いて出た「素志」なる言葉――この言葉の内側を窺うとき知るのは、世の批判を覚悟の上で、否それ故に我邦一千数百年の伝統を向こうにして「新体」を問う、明治という時代に特有の「壮士」なる人格が懐中するアイデンティティーである。彼らは、「詩人」である前にまず「壮士」であった。そして「壮士詩人」であった。

直前には同様の時代的精神である志士なる存在があった。志士もまた詩人ではなかったが、感情の高まりを一塊の言葉にする、抜き差しならぬ現実的契機のなかに生を繋ぎとめていた点で壮士詩人の類縁者だった。志士を見なければならない。

 

現実が詩である「詩」 幕末~明治初は、にわかに和歌の高揚期であったという(以下は野山一九八五、三四‐三六頁による)。歴史の動乱に生死を賭す熱血の志士による吟詠である。『殉難前章』『殉難後章』(慶応四=明治元年)、『招魂集』(明治二年)『近世報国 志士小伝』(明治三年)などが示す歌集名は、それだけでも歌意の赴くところを暗示して止まない。因みに明治二年は東遷した皇城で、天皇の名のもとに政府を挙げて招魂祭(勤皇志士の慰霊)が執り行なわれた年である。「志士吟詠」は、『新体詩抄』がそうであったように、作品の水準を自らに問うて吟詠を躊躇わせることはなかった。吟詠自体に意味があった。すなわち、「詞は観るに足ることなきも、意は或は取るべし」によってである。意味があったのは「意」であり、「詞」ではなかった。壮士(壮士詩人)が引く継ぐことになる「意」である。

志士と歌の史的評価については、次のように説かれる。「詩的精錬はもとより二次的な問題に過ぎなかった。明治初頭に簇出した歌集群の意義は、現実の前に『詩』があったことを証しているところにある。この種の歌集が明治十年で途絶えるのは、『近代化』達成の里程標となった西南の役の終結と関係があるだろう」と。「現実の前に『詩』があった」とは幕末の政治状況のこと、その渦中に身を置いていること、それ自体が詩であったことを指している。

本稿が採るべきは、「現実の前に『詩』があった」の詩学である。意訳すれば「現実が詩である『詩』」である。はからずも壮士詩人の前にこの状況が出来する。引用文中の「西南の役の終結」である。役の終結が意味するのは、志士的吟詠の終結である。「志士」は存在意義を失ったのである。歴史的逆転である。かつての尊王攘夷の勤皇志士から、一連の反乱士族に正統の志士の立場が入れ替わったのである。これは歴史の話であるが同時に詩歌史の話でもある。そのとき詩歌の上になにが起こったのか、象徴的な事例を掲げるとすれば、「抜刀隊」(ゝ山仙士)の詩詠が生み出されたことである。

 

 

城山の決戦。西郷隆盛と志士たち。

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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