詩の雑誌 midnightpress18

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2002年冬18号(2002年12月5日発売)
【主な内容 】
●詩作品 
長田弘 五月女素夫 豊原清明 須永紀子 財部鳥子 布村浩一 内藤ねり 松元泰介 三上寛 松浦寿輝
●連載詩 三上寛 
●連載対談14 女のなかの詩 
谷川俊太郎+正津勉 ゲスト/山本かずこ
●対談 詩と成熟 ──最近の詩集を読む──
瀬尾育生 稲川方人
●平居謙の「ごきげんPOEMに会いたい」
第12回 藤井良介&中間報告の巻 
●素顔の金子光晴7 詩人たちが羨望する詩集『愛情69』のこと 松本亮
●詩の現在を、私はこう考える 柴田千晶
●詩の教室 高校生クラス 清水哲男 一般クラス 川崎洋
●その他の執筆者  福間健二  大澤恒保 井上輝夫 
  長谷邦夫 高取英 ハルノ宵子 元山舞 萩原健次郎 
  松岡祥男  根石吉久 いとう くぼたのぞみ ヤリタミ サコ

 
■表紙「賢人たち」・目次・本文イラスト/永畑風人
■写真 野口賢一郎


「詩の雑誌midnightpress」18号をお届けします。今号もまた力のこもった原稿が寄せられた。そして、創刊号から四年にわたって連載されてきた福間健二氏の「詩は生きている」が、また、世紀の変わり目、そして9・11をニューヨークで迎えた井上輝夫氏の「那由多亭夜話」が、ひとつの区切りを迎えることとなった。■いま、久しぶりに創刊号を手にとってみると、98年9月5日発行とある。その日付が、とてつもなく昔のようにも思われるし、まだついこのあいだのことのようにも思える。だが、この四年間で、福間氏もいうように、「日々の生活の場所としての世界も、多くの点で様変わりしてきた」。「あらゆる場面で根本的な組み替えを迫る力が、そこにある」。■今号のゲラを読んでいて、この四年間における世界の様変わりに即するかのように、ひとつの主題をめぐって新しい動きが現われつつあるのではないかとの予兆のようなものを覚えた。平たくいうと、それは、「詩とは何か」というよりも、「日本の現代詩とは何か」という、より具体的にして根柢的、かつ実践的にして歴史的な問いとはじめて向かい合うことではないだろうか。■福間さんの・詩は生きている・は、いかにポジティヴに「詩を書く/詩を生きる」かを考えるものだったと思うが、そこで展開された主題は、小誌においてこれからも持続されるだろう。その一環として、これから少しずつリニューアルを試みていこうと考えている。確たるヴィジョンがあるわけではないが、現場を深く掘っていく作業を怠らないようにしたい。■今号から小誌の常備書店のリストを掲載することにした。確実に読者の手元に届くよう、読者や書店とのチャンネルを広げていきたい。なお、井坂洋子氏の「詩の通い路」は、筆者の都合で休載させていただいた。2003年は、好評連載だった辻征夫氏の「詩の話」の刊行などを予定している。(お)




あらゆるものを忘れてゆく

長田 弘

 

夕暮れ、緑の枝々が影をかさねる
林ののこる裏通りの小道の向こうから、
彼が走ってきた。大きな犬に引っ張られて、
息を切らして、すれちがいざまに、
ふりむいて言った。──今度、ゆっくりと。
約束をまもらず、彼は逝った。
死に引っ張られて、息を切らして、
卒然と、大きな犬と、小さな約束を遺して。
いまでもその小道を通ると、向こうから
彼が走ってくるような気がする。だが、
不思議だ。彼の言ったこと、したことを、
何一つ思いだせない。彼は、誰だった?
あらゆるものを忘れてゆく。


空白のなかに、
一鉢の、八重咲きの、インパチェンスを置く。
わたしにできるのは、それだけだ。


忘れてはいけないと、
暦が言う。忘れてはいけないと、
大時計が言う。忘れてはいけないと、
羽虫が言う。飛ぶ蜂も言う。
屋根にならんだからすが言う。
くわッくわッ忘れてはいけないと。
けれども、忘れていけないものは何?
すべての記憶をなくした老人が、
窓辺で一人、黙って、なみだをながしている。
人間が言葉をうしなうのではない。
言葉が人間をうしなうのだ。
記憶がけっして語ることのできないものがある。
あらゆるものを忘れてゆく。


後にのこるのは、どこまでも明るい光景だ。
冬の砂漠にふりそそぐ真昼の日差しのように、
砂と、空と、静けさと、それでぜんぶだ。
「神々は恐るるに足りない。
 死は恐るるに足りない。
 幸福は手に入れることができる。
 苦痛は耐えることができる」
その昔、カッパドキアの賢者は言った、
それがこの世の、四つの真実だと。
新しさで価値を測ろうとすれば過つだろう。
不思議だ。古い真実は忘れない。
新しい真実は、目には見えなくなった。
あらゆるものを忘れてゆく。