詩の雑誌 midnightpress15

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主な内容 2002年春15号(2002年3月5日発売)内容
●詩作品
駿河昌樹 櫛部妙有 究極Q太郎 平居謙 山本かずこ 堀内統義
●連載詩 三上寛
●連載対談 11
詩の言葉、広告の言葉 2001.9.11以前/以後
谷川俊太郎+正津勉/ゲスト 天野祐吉
●アンケート 2001年9月11日
藤井貞和 長谷部奈美江 大家正志 和合亮一 
●往復メール ネットではじめて触れる詩 片野晃司 いとう
●平居謙の「ごきげんPOEMに会いたい」第9回
 荒木時彦&海埜今日子の巻
●詩の教室 高校生クラス 清水哲男 一般クラス 川崎洋
●midnight critic 清水鱗造 
●詩は生きている14 福間健二
●近代詩の通い路4 時代を超える若さ(米澤順子の口語詩 )井坂洋子
●素顔の金子光晴5 (ボーッとしながら、変わりつづける) 松本亮
●ご隠居と八っつあんの現代詩談義 傲慢な表現を却下する
●高崎通信5 「あたりまえ?」 大澤恒保
●那由多亭・イン・ホワイト・プレインズ5(わたしの九、十一)井上輝夫●ポエトリー・コミック フェイク 長谷邦夫
●詩人のコラム(自分流)中江俊夫
●よいこのノート(ところがどっこい生きている)ハルノ宵子
●風に呼ばれた日(宇宙)元山舞
●ジャズのちポエム(ナマもの)萩原健次郎
●読書日録 ろくでなしの戦場 松岡祥男
●根石のコラム(薪のお好み焼き)根石吉久
●書評 谷川俊太郎「詩ってなんだろう」友部正人
●CD評 藤井貞和自作詩朗読「パンダ来るな」柴田千晶

■表紙「飛ぶ男」・目次・本文イラスト 永畑風人
■写真 野口賢一郎


15号をお届けします。今号は、期せずして、誌面に「2001年9月11日」の文字が並んだが、もとより、これは意図したものではない。小誌として企画したものは、「アンケート 2001年9月11日」であるが、このワク組を超えて、「2001年9月11日」という日付は通奏低音のごとく誌面を流れているようだ。井上輝夫氏が「ニューヨークに住んでいて、去る9月11日の世界貿易センターとペンタゴンを狙った自爆テロ事件に触れないでいることは触れるより難しい」と書かれていることは、ニューヨークに住んでいない者にとっても了解されるところであり、それがおのずと誌面にあらわれでたということでもあろう。だが、いずれにしても困難な主題である。アンケートの回答率が50%に満たなかったことも、そのひとつのあらわれかと考える。■詩と「外部」の問題--例えば『辻詩集』に象徴される戦争詩の問題なども、それに含まれるだろう--は、いまもなお日本の詩史をつらぬくトラウマ(?)として持続しているように思われる。詩=言葉と「外部」をめぐる主題はさらに苛烈をきわめていくことだろう。もとより、短絡は注意深く避けなければならないが、「詩の雑誌midnightpress」として避けては通れない途であることを思う。一時の気分・感情に踊らされることなく、「外部」と拮抗しつつ、ついに己を生きることのなんたるかを知るときが、いつの日かくるだろうか。■飛行機がWTCビルに突入する映像は繰り返され、消費され尽くした。が、一般的にいって、ある映像を目にしたとき、我々は、その背後に秘められたある奥行なるものを夢想することもまたたしかなことである。今号掲載の、片野晃司、いとう両氏による往復メールが提示しているものも、その奥行ではないだろうか。(お)




丑(うし)  三上寛

牛を知らない人は珍しい。

一昨年の夏も僕ら家族は牛を見た。
冷房の利いた車の窓を開けたがる娘を制し
たのはあまりの暑さのせいではなく虻が入
ってくるからだった。
蝉ほどの大きさの茶色の虻は子供の頃よく
見たものだが都会育ちの娘には初めてだろ
う。

『あれは刺すよ』

と言うと
驚いた。

絹糸を結んで飛ばしたりしたものだった。
インドでは『仏の使い』 も
この国では疫病の元凶。

日本刀で自害した小説家も白い牛の目を見
てこの世の自害した小説家も白い牛の目を見
てこの世の手本を知ったのだ。

牛の瞼が濡れているのは涙ではなく目ヤニ
だと「教えてくれた」物知りの先輩。

ソウジャナイダロウ!

泣いているから濡れているんだ。
瞼が濡れるために
他に一体どんな理由があればいい
どんな理由が必要なのか

歌ったものサ
子牛が売られてゆき
その子牛はそのことを知らない旨の歌を

あの日の牛はまだ牛のまんま