詩の雑誌12号
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主な内容 2001年夏 12号(2001年06月5日発売)内容
●詩作品
小長谷清実 江森國友 上田假奈代 長谷部奈美江 福島敦子 岩木誠一郎 宮尾節子 須永紀子 桜井友裕 鈴木志郎康 柴田千晶 藤原龍一郎
●連載対談 8
新しい場所が生まれる場所
谷川俊太郎+正津勉/ゲスト米内山明宏
●現代詩を5つのキーワードで考える
豊原清明 新井豊美 柴田千晶 田中庸介 松本圭二
●新連載 
近代詩の通い路 井坂洋子
●平居謙の「ごきげんPOEMに会いたい」第6回
 琴生結希&田口犬男の巻
●詩の教室 高校生クラス 清水哲男 一般クラス 川崎洋
●その他の執筆者
大澤龍生 福間健二 長谷邦夫 松岡祥男 根石吉久 高取英 
 くぼたのぞみ 松本亮 鈴木漠 ハルノ宵子 元山舞 萩原健次郎

■表紙「恋人たち」・目次・本文イラスト 永畑風人
■写真 野口賢一郎


「稗田阿礼という人がどんな日本語をしゃべったのかということを、いま一生懸命考えている」と、春日大社の宮司である葉室頼昭氏は言う。文字がなかったといわれる時代では、「発音の微妙な違いで意味の違いを表していた」。基本的には「あ」「い」「う」「え」「お」と「ん」の並びと音の抑揚によって意味をあらわしていたのだが、そこに中国から漢字が入ってくると、「本来は発音の違いで意味を表していたものが、漢字を借りて日本語を表すようになり、(略)今度は漢字の意味の方を人々は考えるようになってしまった」。そして、稗田阿礼は、漢字が入ってくる前の言葉をしゃべったに違いない、と。(以上、葉室頼昭『神道 見えないものの力』などより)■こういう話を聞いていると、今日の現代詩が生まれるまでに、どれほどの劇が、屈折が積み重ねられてきたことかと、あらためて思い起こされるのである。このたび復刻した『CD詩集 こうせき』に収められた四十余人の詩人の朗読を聞いていると、その思いを強くする。聞いていると、ひとりひとりが稗田阿礼であるかのように思われてくるほど、声の精妙さに気づかされるのである。そして、未来への限りない前進と、過去への限りない遡及とが同時に駆使されてはじめて∧起源∨を尋ねることができるのだと、腑に落ちてくるのである。この『こうせき』には││ちなみに、音声を意味する奈良地方の方言が念頭におかれているという││、おおげさでもなんでもなく、詩のなんたるかが秘匿されていると思った。(『CD詩集 こうせき』については、表2の広告をごらんください)■小誌も12号を迎えることになった。まる三年である。「石の上にも三年」というが、この三年間、どんな石の上に乗っかっていたのだろう。少なくとも、静止している石ではなかったことだけはたしかなようである。今号では、米内山明宏氏の発言や、「現代詩を5つのキーワードで考える」に寄せられた原稿を読みながらハンナ・アーレントの次のような言葉について考えていた。││「望むところに向けて出発できるということは自由であることの原型であ」る。「人々が世界のなかで自由を経験するのはなによりも行動においてです。人々は思考の自由へと後退します」。好評連載の「ご隠居と八っつあんの現代詩談義」は今後、不定期連載とさせていただきます。(岡田)




ピクニック日和     小長谷清実

もう古くなって
期限の切れた
ポップコーンの袋抱えて
それ多事だ それ多難だと
眠りの穴を掘りまくる
モグラみたいな
昨日があって
あさっての出発を
待っていた、
内容不明のピクニックを
(丘のむこうの
森のむこうの
闇のむこうの)

*

待てば回路は
いいお日和で
来る日も来る日も
ピクニック日和
あの友どちは五時発の
かの友人は
少し遅れて五時半の
循環バスに
めいめい勝手に
飛び乗って
(こことも
どことも当てもなく
ぐるぐると)

*

シーンは変わって
この辺り
春だというのに
冷え冷えと
待つ身はなんだか
落ち着かず
空を見上げているばかり
その日のために用意した
ポップコーンの
袋ゆすって
(がさごそと
紙屑みたいに
かさこそと)