生の泉
注文する

 
著者 中村剛彦(なかむら たけひこ)
装丁 古屋友章
発行 2010年1月26日
定価  
本体2000円+税
ISBN

ISBN978-4-434-13929-1 C0092

判型 B6変型(115×178ミリ)114頁 並製

[収録詩篇]
序 残照 T 影と罪/隠されたもの 風の声 驢馬 詩人の目 生者の手 帰郷 焼けた手紙 トランプ占い 瞑想する男 進化の誕生 神々の裁判 U 砂漠へ/空と記憶 詩想 詩想二 詩想三 詩想四 詩想五 夜想 銃口 一瞬の出来事 山下公園の回想 V月とノート/終わらない 喪失 αの詩のために 生命について 深い穴 鬼火 緊縛 雪解 月光 W 導かれた場所/母 市民病院脇のハンバーガー店にて 病棟 煙 夕暮れ 虹 海岸 灯火  あとがき

【HP新刊紹介】より
  中村剛彦さんの第二詩集『生の泉』が刊行されました。「かつての私の影たちへの決別の意を込め」て出版された第一詩集『壜の中の炎』から7年。友人の突然の死がもたらした内省は、「何のために詩を書くのか」「詩とは何なのか」という問いをさらに深化させて、一冊の詩集を生みました。「もし君が本当に詩を書こうとするならば/君はすべての記憶を裏切り続けるしかない」。生と死、夢と現実、聖と俗、善と悪……抒情と反抒情のクリティカルな弁証法が織りなすことばのタペストリーは読む者を捉えて離しません。いま当HPで連載されている「中村剛彦の『甦る詩人たち』」と併せて読まれることをおすすめします。
 下に紹介するのは、集中の抒情的な一篇です。

 山下公園の回想

泳いでいる
僕の周りでは君は笑いながら
ときに泣きながら
鴎のように両手を大きく振って
泡立つ僕のこころの傷に海風を送る
むかし、君とともに遊覧船に乗って
橋をくぐった
温かい君の手が僕の未熟な詩を包んだ
君は死んだんだ
君が愛した鳩たちも死んだ
僕はとても悲しんだ気もするが
どこへ言葉の帆を向けても
君がいる 泳いでついてくる
僕は帆を高く張る
君の声を孕んで
新しい言葉の廃墟に向かって
一人波に体をあずける
君はどこにいても手を振っている
そんなときに満ちてくる孤独の幸福
いまこそ生の航路が
僕には見えるようだ



月光


君がいなくなった部屋には

何が残されていたのか

君が愛した品々は確かに残っていた

しかし君が執念を燃やして戦った相手は

どこかへ消えてしまった

僕は一人君の机に座る

 

一冊の詩集が開かれ

そこに一篇の詩があった

「生とは」

最後に君の視線がその文字をなぞり

凍った窓の向こうに灯る月を巡ったとき

君は生に敗れたことを悟ったのか

 

君はあまりにやさしかったからな!

死は一体何を奪っていったか

奪われたものと奪われなかったものに満ち満ちて

もう何も考えることができない

僕は無意味となったその詩集を閉じ

部屋を出て行った

あれから何年も過ぎて

生きている者の筆跡はあまりに虚しいと

誰にも読まれることのなかった

君の書きかけのノートを手に立ち竦む

君はどこへ帰って行ったのか

僕はこれからどこへ帰って行けばいいのか

 

おそらく世界のどこかに

今夜も窓にかかる月を眺めている少年がいる

ノートに星屑の航路が描かれている

楽しい形をした島々も浮かんでいる

少年の未来は美しい

僕らはついにそれを描けなかった