噴水

 

ああ 昇ってはまた落ちてくることから

この私の内部にも このように「存在するもの」が生まれでるといい

ああ 手なしで さし上げたり 受取ったりすることよ

精神のたたずみよ 毬のない毬遊びよ

 

 

これもまた入院中に何度と読み直した。ふと黒田三郎のあの「紙風船」を想起してしまうのであるが、この「噴水」には黒田のもつ戦後詩的ヒューマニズムとは違う、いやむしろ正反対の、人間存在への肉薄がある。それは詩「薔薇の内部」にも通じる、噴水の上昇と落下をしつづける流動それ自体への視線が、そのまま反射されて詩人自身の「内部」が押しひろげられ外在化する。読み手である私は、詩人の視線の反射をさらに受けて、私自身の「内部」に吹き上がり落ちていく噴水の水が現れるような恍惚感に浸る。そしてこの一瞬の恍惚(エクスタシー)の去ったあと、詩集を閉じるとなんとも言えない退廃的な快楽の染が体にべっとりとついていることに気づかされる。

では、黒田の詩はどうであろうか。

 

紙風船

 

落ちて来たら

今度は

もっと高く

もっともっと高く

何度でも

打ち上げよう

 

美しい

願いごとのように

 

わたしはこの詩を戦後詩の名作だと思うが、黒田の詩のもつセンチメンタリズムは、社会のなかで孤独者であることの悲哀をそのまま悲哀のままに疑うことなく引き受けることのできる楽観主義的な日常性に支えられていると思わざるを得ない。もっとわかりやすく言えば、孤独でも「生きていける」詩なのである。

 

何もわたしはこの黒田の詩を否定しているのではない。むしろこれは「戦後日本」というきわめて特異な時代による産物かもしれないと思うのである。この詩が当時人気のフォークグループ「赤い鳥」によって歌われるなど広く読まれ、いまも小学校の教科書に掲載されているのを知るとき、現代までつづく日本の戦後民主主義社会そのものが、黒田のセンチメンタリズムに現れる孤独者の共同体といった様相を呈してきたともいえる。

 

 

         赤い鳥による「紙風船」

 

ではこの「孤独者」はなぜ「孤独」なのか。当然ながらその背後にはあの戦争の惨劇があることは忘れてはならない。焼土と化したゼロ地点の日本から復興する、その過程において、戦争によって失われたもの、いわば同胞の「死」を背負うことの「孤独」は、戦後生まれのわたしには想像以上の精神の孤立化を強いられたはずである。「自分は生きている」「生きていける」という楽観主義は、ほとんど狂い叫ばなければならないほどの生の喪失感からその効力を発揮する。黒田の詩業が『失はれた墓碑銘』(1955)からはじまったことを捉えるなら、その生の喪失から生の回復への精神の軌跡を想像するのはそう難しくはない。黒田と同じ「荒地」グループを牽引した鮎川信夫はどこかで、この黒田の「紙風船」のような日常性に依拠した「生」の楽観主義的センチメンタリズムを堕落と批判していたが、それはモダニスト鮎川ならではの批判であってよくわかる。しかし鮎川もまたこれを批判することで、ある読み落としをしているともいえる。鮎川信夫がエリオットから引き継いだモダニズム的批評精神は、近代の理知主義の果ての狂気的な、悪魔的世界現実を見ていた。なぜなら戦争という狂気それ自体がけっきょくは人間理性がもたらした産物であるからである。日本は近代知の結晶である原子爆弾を落とされている。この近代知による悪魔的現実を引き受けた鮎川の戦後詩の歩みは、しかしその悪魔的現実を「生きる」という意味で、鮎川のなかにも黒田と同じ孤独者として生きる生の楽観主義が萌芽していたとは言えないだろうか。鮎川ほどの批評精神をもった詩人であれば、そのことは十分に知りつくしていたはずである。その黒田との共通性、いやもっといえば「戦後」詩人たちのその共通性をどのように捉えていたか。

 

この問題はまた別途追求すべきことで、これ以上わたしはここで「荒地」論を述べるつもりはない。いまわたしが述べたいのは、黒田にしろ、鮎川にしろ、さらには「荒地」以外の多くの「戦後」詩人たちにしろ、あくまで「死」から「生」への回復を第一義におき、詩作品に疑いようのない孤独者としての自己存在の息遣いを定着させたのに対し、リルケの詩がもたらす「詩的恍惚(エクスタシー)」は、まったく順序が逆だということである。

 

リルケは現実の生そのものへの疑いから詩を書きはじめる。たとえば「薔薇」や「噴水」といった形ある外部世界への「凝視」は、目の前の事物への懐疑があってこそはじまる行為である。そしてあらゆる事物を透視すれば、存在それ自体の内部はすべて空洞であり無であるという発見から、世界はすべて虚無化する。もちろん詩人自身の存在もである。だからリルケの存在論はつねに空洞の内部世界から溢れでているおぞましさと快感を齎す。詩「噴水」に書かれている、「ああ 昇ってはまた落ちてくることから/この私の内部にも このように「存在するもの」が生まれでるといい」という、奇妙な詩句は、黒田の詩をはじめ、多く常識的に考えられる、「上を向いて歩こう」的な、俗にいうポジティブ・シンキングによる自分の存在以上の外部にあるものへの願いではなく、自己の空っぽの内部でいつまでも上昇と落下を繰り返す、「生」と「死」の境界のない永遠の回転運動をつづける存在論への希求である。さらには、その永遠に回転しつづける様態そのままが「精神のたたずみ」になるという、虚無の流動そのものが内部に固定化し、最終的には「鞠のない鞠あそびよ」という一句で結ばれる。これなどは黒田の「紙風船」と一見同じ「あそび」であって、その実まったく逆の存在認識で書かれているわかりやすい例であろう。リルケにとっては「美しい願いごと」を外在化できるような対象物などどこにもない。「鞠」も「紙風船」もその実態は人間が勝手に「ある」と信じきっている幻に過ぎない。リルケの存在はそれ自体、おぞましくも祝福すべき空なる「遊戯」なのである。そしてこの認識にたってこそ、はじめて、存在それ自体は、エロティックな恍惚状態に入れる。黒田のような、ヒューマニスティックな(それはつまり社会的なという意味でもある)夢も希望はここには一顧だにされない。ただ自己内部の空洞のなかでエロスとタナトスが渾然一体となって永遠に生起し、噴出しつづけるおぞましい快楽を書き得た詩人は、リルケ以外にわたしは知らない。

 

 

 「ミューズ」であったルー・ザロメとリルケ(1900)

 

しかしそれ故に、先に述べたように、この詩的恍惚(エクスタシー)が、ファシズムの美学に通じる危険領域を示すこともわたしは考えてしまうのである。なぜなら、いま読んできたように、わたし自身のなかにある黒田三郎的なヒューマニズム、いわばオーストリアにおけるファシズム復活のニュースをみてハラハラとする戦後民主主義の倫理が、リルケ的恍惚を止揚してしまうのである。簡単にいえば、わたしは明白に戦後の平和な社会のなかで充溢した人生を生きている社会的存在であり、己の存在理由もただその平和な日々の生活のなかで実感するからである。食べるために金を稼ぎ、そして食べ、排泄し、ある人を愛し、また憎み、そして地面を見つめ、空を眺め、季節の風に吹かれ、仕事に疲れ……といったごく平和な実感だけが己の存在の根拠である。

 

しかし一方で、それは本当にわが存在の根拠となり得るのだろうか、とも考える。どこかこれはおかしい、これがほんとうのわたしなのか、わたしはなぜいまここにいるのか? という懐疑もまた「生活」のなかで実感としてでてくる。リルケの詩に恍惚としてしまうような、この社会にいないはずのリルケ的世界に生きるわたしがどこかにいるはずだ、それはある社会システムの檻にいながらにして、そのシステムがエラーを起こしたどこかに、わたしはわたしから切り離された存在としてあってもおかしくない、と。

 

 

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中村剛彦(なかむらたけひこ) 1973年横浜生まれ。『壜の中の炎』(ミッドナイト・プレス、2003)、『生の泉』(同、2010)。midnight press WEB副編集長(2017.3月まで)。

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