ハーメルンの笛吹き男に誘われて

 

 

子供たちと接していていつも羨ましく思うのは、笑ったり、泣いたり、怒ったり、甘えたりと、大人になっても人が抱えている感情の機微を素直に表現できる子供たちの能力です。ときにはずる賢いことや、残酷なことも素直にやってのけます。大人からみれば、子供たちの素直さは、まだ自分の感情をコントロールできない未熟さとも取れますが、逆にいえば、大人が失ってしまった感情表現の豊かさを子供たちはみな持っている、とも取れます。大人が優れていて、子供が劣っているという見方は、この「表現」に関わる場合、ずいぶん曖昧になります。わたしが羨ましいと思うのは、子供たちの表現が、未熟ゆえにこそとても大らかであることです。つらいことも、たのしいことも、満面にその感情が迸ります。大人になったわたしにはもうその「表現」は取り戻すことができません。

ただ学校教育や家庭教育の過程で、子供たちはその感情の揺れ動きを自分自身でコントロールできるように教わり、やがて思春期を経て、大人になるにつれて自分の素直な感情を押し隠すようになります。大人は悲しいのに笑ったり、怒っているのに落ち着いてみせたり、また優しく振る舞いながら残酷なことをしたりと、なんだかあべこべな表現を身につけて、次第にどれが本当の自分の感情なのか分からなくなって、ついには自分がいったい何者なのか見失ってしまう場合もあります。なぜ学んだことの結果、そのようになってしまうのでしょうか。

それは子供のころのように感情のままに振舞いつづけると、社会秩序が乱れ、いつしか自分が社会からのけ者にされ居場所を失うことへの恐怖心からです。勤め人が社長に向かって「馬鹿野郎!」と泣き叫ぶことは、いくら本当の感情表現であってもなかなかできません。なぜなら上司と部下の主従関係を壊してしまっては会社を成立させている秩序が成り立たないからです。よっぽど自由な発言を許す会社でない限り、社長に「馬鹿野郎!」と泣き叫ぶならば、その人はもう秩序の外へ出る、つまり会社を辞めるしかない。そうしたら生活費が稼げない、家族に迷惑がかかる、人に白い目で見られる、といったとても恐ろしい状況が発生します。だからみな怒りの感情を抑えて、卑屈な面持ちで社長の言うことに従います。こうした大人の秩序維持のために、世の中には様々な不条理な問題が発生してきます。ときには殺人事件さえもおきてしまう。では大人はどうしたら卑屈にならずに、子供のころの大らかさを手にできるでしょうか。何も学ばない方がよかったのでしょうか。

 

わたしはここにこそ「詩」が関わってくると思っています。

 

学校教育で感情のコントロールを身につけるとき、最重要なのが言葉の習得であることは自明です。自分の感情を言葉(理性)によって客観的に捉え、他人に伝えることで、秩序が保たれます。「馬鹿野郎!」と泣き叫ぶ前に、怒りの感情を言葉によってきめ細かく捉えれば、もっと違う表現が生まれ、秩序のなかでより良い結果が生まれます。

でもどんなに言葉を覚えても、どうしても言い尽くせない感情が人間にはあります。30歳になっても、40歳になっても、いや50、60、70、80歳になっても、家族や親友、恋人と死別したり、戦争や災害に見舞われるといった辛い経験をしたとき、人は言葉を失い涙を流します。そしてしんとした沈黙のなかで自分の感情の荒波がゆっくりと鎮まるのを待ちます。このとき大人は、言葉をまだ覚えきれていないころの〈子供心〉を取り戻しているともいえます。そして言葉にならない感情を、言葉の錬金術師である詩人がつくった「詩」が掬い上げてくれることを必要とします。ひとつここで詩を引いてみます。

 

 

 つくしんぼ 西條八十

見知らぬ人におぶわれて
越えた旅路たびじのつくしんぼ

見知らぬ人は黒外套くろまんと
顔もおぼえず 名も知らず

いずくの国か いつの世か
月さえほそい春のくれ

きょう片岡かたおかにひとり
夢のようにおもいだす

見知らぬ人におぶわれた
遠いその日のつくしんぼ

前回もとりあげた西條八十が大正11年に発表した童謡です。「かなりや」ほど有名ではありませんが、童謡運動の牽引者であった八十の詩人としての力量は、文字だけのこの「詩」を読んでみても伝わってきます。

一見、この「つくしんぼ」は、大人になった詩人が、子供のころに「見知らぬ人」に負ぶわれた経験をただ追想しているだけの、他愛もない詩に読めます。でもどうも不気味な手触りを感じます。「見知らぬ人は黒外套(くろまんと)」の姿で、「いずくの国か いつの世か」分からぬ場所に八十少年を負ぶっていく。いったいこの「見知らぬ人」は誰で、そしてなぜ大人の八十はこの少年時のことを追想して「詩」に、いや「童謡詩」にしたのでしょうか。

西條八十が起こした大正期の童謡運動が、それまでの国家が子供の教化のために指定した唱歌ではない、芸術性の高い「子供のための詩」を目指したことはすでに述べましたが、この「つくしんぼ」はそのスピリッツをよく体現しているとわたしは思います。

この「いずくの国の いつの世か」分からぬ場所からやってきて、自分を背負っていく「見知らぬ人」は、永遠に時を旅する旅人のようです。学校で教化されて育つ子供たちにとって、いつか自分が取り込まれていく国家秩序とは無縁の、どこか自由気ままに生きている夢の人です。大人になって、詩人としても名声を得てしまった八十が、社会秩序の柵のなかでもがきながら、自分を背負ってくれた「見知らぬ人」を思い出して卑屈になりがちな自分の心を一瞬でも解放したいという願いから、この「童謡」は生まれたと思います。だから、この詩は「子供のための詩」というより、「大人のための詩」です。

わたしはここに大正期の童謡運動が、ついに「大人のための詩」に終わったというひとつの限界を見ますが、大人になったわたしにはこの「つくしんぼう」の心根はとてもよく理解できます。そしてこの童謡詩を読み、わたしはひとつの有名な伝説を思い出します。

それは「ハーメルンの笛吹き男」です。子供のころに母親に読んでもらった絵本『ハメルンの笛吹き』(矢川澄子訳、文化出版局)はいまも本棚にあります。ロバート・ブラウニングの詩とケート・グリーナウェイの美しい絵で描かれています。

 

 

 

 

 

お話の内容を簡単に述べますと、中世ドイツの町ハーメルンが大量の鼠の発生で困っているとき、ひとりの風変わりな格好をした笛吹き男がやってきて、笛を一吹きして町中の鼠を駆除します。しかし町のお役人たちが、彼に約束の報酬を支払わなかったため、笛吹き男はまた笛を吹いて、町中の子供たちをその音色で誘惑して連れ去り、山のなかに消えてしまう、というものです。

これは明らかに、人をいとも簡単に裏切る汚れた大人の秩序社会に対する痛烈な風刺であることはよく分かります。絵本の詩を書いたブラウニング(1812−1889)は、クリスティナ・ロセッティとも親交のあった19世紀イギリスの詩人です。当時の腐敗した英国階級社会の不条理な状況に対して、ロセッティもブラウニングも詩人として心を痛めていた。そして怒っていた。でもその怒りを直截的に叫ぶのではなく、見事にうつくしい、「大らか」な言葉で詩にし、人々に、子供たちに印象深く伝えました。

もしかしたら西條八十はこの絵本を知っていて「つくしんぼう」を書いたのかもしれません。いやそうでなくても、大正期の日本という近代国家が、19世紀の英国の社会状況とさして変わらずに目にうつったのだと思います。だから八十は、このヨーロッパ中世の伝説のモチーフとなった「笛吹き男」のような「見知らぬ人」を求めたのだと思います。

そしてこの「笛吹き男」=「見知らぬ人」こそが、八十自身がなりたい「詩人」であって、子供たちのために童謡運動を起こしたのです。しかし、大正から昭和へ、そして戦争へ、八十をはじめ詩人たちはけっして「見知らぬ人」にはなれなかった……。

子供たちの「大らかさ」を人々が失わないために、わたしは詩人の心がいつまでも「笛吹き男」のような「いずくの国の いつの世か」分からぬ所からやってきたものであってほしい、と願います。でもそれはきっととても難しいことなのだと思います。現代のこの国は隅々まで人々を管理するようになってしまいました。

 

こんど子供たちといっしょに絵本『ハメルンの笛吹き』を読み直そうと思います。そしてみんなの大らかな感情表現に囲まれて、もう一度「詩」の所在を確かめたく思います。

画像をクリックすると、英語版の絵本をお読みになれます。

Tar:詩と児童文学愛好家。1973年生まれ。山羊座。

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