非時宿

 

いつしか十月も半ばになっていた。建坪の三倍もある広い庭の一角にコスモスが群生し、日毎背丈が伸びていく。ことしは八月から九月にかけて猛烈な日照りが続いたために茎の下半分は葉が枯れて黒ずんでいた。開花の時を俟たずにポキリと折れてしまうのではないかと危ぶまれたがついにこの日、一本の茎のてっぺんに白い花が咲いた。たったひとつのコスモスとなったが、眺めわたすとどの茎の先端にも白やピンクや赤紫の、小さな擬宝珠のようなつぼみが付いてしきりに風に揺れている。数日も経てば一斉に花開くかも知れない。すると、先駆けて咲いたこの一輪は何の呪(まじな)いなのだろうかと澄子は思った。

五人のこどもを引き連れてこの家に引っ越してから七ヵ月が経った。前の住まいから四キロほど離れたところにある築二十年の平屋で、勤め先の学校には同じ距離だけ近くなった。ここは石崎が働く「(株)石崎工務店」の所有物件である。家賃は正規の五分の一ほどだった。親戚だから本当はタダでええんやけど税務署が因縁つけてくるかんね、と磊落な性格の社長は言った。石崎の伯父にあたり、澄子はウマが合った。離婚しても姓は変えないことをとても喜んでくれた。家賃は月々石崎の給料から天引きされると聞いて、石崎には「養育費代わりということでありがたくいただくわ」と先んじて告げた。

「これじゃ文房具代にもならないから、他に別途」

  営業マンのような口調になっていた。

「私のわがままから出たことなので、養育費なんてほんとうはいらないの」

「いまだに雲を掴むような……」

「もう蒸し返さないで。お互い話し合って決めたことだから」

澄子はこういうところは潔いし頑固でもあった。「話し合った」といってもほとんど一方的な通告みたいなものだった。二十年前もいったん休学すると決めるとすぐに讃岐の実家に帰った。一緒に棲んでいた石崎には結論だけを告げた。一年経ったら戻ってくるから待っていてね。他に好きな人ができたら正直に話してね。出立前夜、交わりのあとに歌謡曲の文句みたいなことを言ったのを覚えている。呆気にとられた石崎はうんうんと頷くしかなかった。帰ってくるのを待ちわびたのは磁石に引きつけられていく鉄のような気分になっていたからだ。

そんな石崎とは反対に澄子は実家で頭を冷やし、先々のことをのんびり考えようと思った。まだ若くて財力もあった両親は娘の不意の帰郷を喜んだ。本を読んだり、散歩をしたり、日記をつけたり、ときに庭の土をいじって花の苗木を植えたりするうちに一年のつもりが二年に延びた。こういうのを日和見主義というのだろうと澄子は時々思った。石崎はひたすら待った。あのときと同じでいまも石崎には何の越度もないと思うが、気持ちの離叛はどうすることもできない。